『撰時抄』

(それ)釈尊の出世は住劫第九の減、人寿百歳の時なり。百歳と十歳との中間(ちゅうげん)在世五十年滅後二千年と一万年となり。其の中間に法華経の流布の時二度あるべし。所謂(いわゆる)在世の八年、滅後には末法の始めの五百年なり。(しか)るに天台・妙楽・伝教等は進んでは在世法華の御時にももれさせ給ひぬ。退いては滅後末法の時にも生まれさせ給はず・中間なる事をなげかせ給ひて末法の始めをこぴさせ給ふ御筆(おんふで)なり。例せば阿私陀(あしだ)仙人が悉達(しった)太子の生まれさせ給ひしを見て悲しんで云はく、現生には九十にあまれり、太子の成道を見るべからず、後生には無色(むしき)界に生まれて五十年の説法の座にもつら()なるべからず、正像末にも生まるべからずとなげきしがごとし。道心あらん人々は(これ)を見()ゝて悦ばせ給へ。正像二千年の大王よりも、後世をも()はん人々は、末法の今の民にてこそあるべけれ。此を信ぜざらんや。()の天台の座主よりも南無妙法蓮華経と唱ふる癩人(らいにん)とはなるべし。(りょう)の武帝の願に云はく『(むし)提婆(だいば)達多(だった)()て無間地獄には沈むとも、鬱頭羅弗(うずらんほつ)とはならじ』と云云」(御書八三八頁)

本日は、第二祖日興上人御生誕七百七十年奉祝大法要に当たり、宗内僧俗代表の皆様には諸事御繁忙の折を、わざわざ御登山御参詣いただき、まことに有り難く、厚く御礼申し上げます。

今夕(こんせき)は、ただいま拝読申し上げました『撰時抄』の御文について少々申し上げたいと存じます。

既に皆様には御承知の通り、『撰時抄』は宗祖日蓮大聖人が身延へ入山された翌年、建治元(一二七五)年六月十日、大聖人御年五十四歳の時、認められた御書であります。

対告衆(たいごうしゅう)は『富士一跡門徒存知事』に、

駿河国(するがのくに)西山由井某に賜ふ」(御書一八七〇頁)

とあり、日興上人の外戚(がいせき)に当たる西山由井氏へ与えられた御抄であります。

本抄は、正像末の三時のそれぞれの時に(かな)った正法を示し、前代未弘(みぐ)の最大深密(じんみつ)の大法が経文の(おもて)に現前することを述べて、寿量品文底秘沈の大白法の存在を示唆(しさ)し、この深法が広宣流布すべきことを明かされているのであります。

本抄の題号は「時を(えら)ぷ抄」との意で、「時」とは仏の御出現を感ずる「衆生の機」と、「仏の応」とが(あい)交わる時を言います。「衆生の機」とは、仏の御出現を感ずる衆生の機根のことであり、「仏の応」とは、仏が衆生を救うため、衆生の機根に応じて出現することを言います。

総本山第二十六世日寛上人は『撰時抄愚記』(御書文段二八九頁)に、『撰時抄』の本意は末法の時を撰取することにありとされ、これには、

一、末法に必ず文底秘沈の大法が広宣流布すること

二、日蓮大聖人をもって下種の本尊となすべきこと

の二意があるとされています。

本抄の内容について簡略に述べますと、まず仏法には時が肝要であること。

釈尊在世および滅後の正像末の三時の、インド・中国・日本の三国にわたる弘経の法を示し、それぞれの時代、国土の正法を明かされています。

すなわち、インドでは正法時代の初めの五百年には迦葉、阿難等が小乗教を流布し、正法時代ののちの五百年には竜樹、天親等が権大乗教を弘め、次に像法時代の中期に天台大師が法華経の迹門を流布し、像法時代の終わりには伝教大師が法華経迹門を広宣流布されたことを述べられています。

そして末法に入り、釈尊の仏法の功徳力がなくなる、いわゆる白法隠没の時代となり、釈尊の予証に従って、上行菩薩が出現して最大深秘の大法を広宣流布し、一切衆生を救うことを明かされています。

さらに、五濁(ごじょく)悪世の末法にあって、広宣流布に取り組む者の姿勢・心構えについて述べられ、不惜(ふしゃく)身命で仏法を修行せよ、と御教示あそばされています。

また、真言宗について、念仏・禅などとは似るべくもない大僻見(びゃっけん)の法であるとして、厳しく破折されています。

このなかで、ただいま拝読申し上げた御文は、先に法華経、大集経等の経証を挙げ、次いで天台、妙楽、伝教等の釈を挙げて、正像末に約して滅後の弘教を明かすなか、所引の法華経、大集経ならびに天台、伝教等の釈の文意について述べられているところであります。

初めに「(それ)釈尊の出世は住劫第九の減、人寿百歳の時なり。百歳と十歳との中間(ちゅうげん)在世五十年滅後二千年と一万年となり」と仰せでありますが、「住劫第九の減」とは、住劫とは四劫すなわち、世界の成立から破滅に至る四大時期のうち、世界が成立する期間を(じょう)劫と言い、成立した世界が継続する期間を(じゅう)劫と言い、世界の壊滅するに至る期間を()劫と言い、次の世界が成立するまでの何もない期間を(くう)劫と言いますが、この成住壊空の四劫の第二・住劫を()し、この住劫のなかに二十の増減があり、そのなかの第九の減の時を指すのであります。

すなわち『倶舎論(くしゃろん)』によれば、人寿(にんじゅ)無量歳から百年に一歳ずつ減じて人寿十歳に至る間を第一劫と言い、次に人寿十歳から百年に一歳を増して人寿八万歳に至り、また人寿十歳にまで減ずるというように増減を繰り返すこと十八回、さらに人寿八万歳に至るを一劫とし、合わせて二十劫となり、このうち九番目の減劫の時を「住劫第九の減」と言い、釈尊はこの期間の人寿百歳の時に出現したとされているのであります。

この百歳から百年に一歳を減じて、人寿十歳に至るまでの間に、釈尊の在世五十年と、滅後の正像二千年と、末法一万年とがあると仰せられているのであります。

次に「其の中間に法華経の流布の時二度あるべし。所謂(いわゆる)在世の八年、滅後には末法の始めの五百年なり」と仰せでありますが、「法華経の流布の時二度あるべし」と仰せの二度とは、釈尊五十年の説法中、法華経を説かれた最後八年と、滅後には末法の始めの五百年の二度を指します。

像法時代の天台、伝教の時もまた法華経が流布されましたが、そのなかに像法時代を入れない理由について、総本山第二十六世日寛上人は『撰時抄愚記』に、

「天台・伝教の御時(中略)()の時は流布するに似たりと(いえど)も、是れ真実の法華流布の時に(あら)ず。(まさ)に此の義を明かさんとす。(しばら)く五意を示さん」(御書文段三一〇頁)

と仰せられています。

今、この五意について簡略に申し上げますと、第一に、『薬王品得意抄』に、

「法華経は正像二千年よりも末法には(こと)利生(りしょう)有るべし」(御書三五〇頁)

と仰せのように、像法時代は法華経の利生が盛んではなく、故に像法時代は真実の法華流布の時に数えないのであります。

第二に、『顕仏未来記』に、

「像法に於ては在世の結縁微薄(みはく)の故に小乗に於て証すること無く、此の人権大乗を以て縁と為して十方の浄土に生ず」(同六七六頁)

と仰せのように、像法時代には独顕(どっけん)の妙能、すなわち法華経のみが唯一、即身成仏の大法であるとの妙能が明らかではなく、いまだ諸大乗経の利益が残っており、法華経の妙用(みょうゆう)が顕れないためであります。

第三には、『立正観抄』に、

「天大台大師は霊山(りょうぜん)の聴衆、如来出世の本懐を()べたまふと雖も、時至らざるが故に妙法の名字を()へて止観と号す」(同七六九頁)

と仰せられている如く、像法時代には究極の真実の教えに対して、方便の教えをも兼ね具えて説かれたるが故に、妙法の名字を変えて止観と号して、正直の妙法を弘めざるが故であります。

第四には、『観心本尊抄』に、

「像法の中末に観音・薬王、南岳・天台等と示現(じげん)し出現して、述門を以て(おもて)と為し本門を以て(うら)と為して、百界千如、一念三千其の義を尽くせり。但理具(りぐ)を論じて事行(じぎょう)の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊、未だ広く(これ)を行せず。所詮(しょせん)円機(えんき)有って円時(えんじ)無き故なり」(同六六〇頁)

と仰せのように、像法時代には、いまだ事行の一念三千を顕さざるか故であります。

第五には、本抄に、

「迦葉・阿難・馬鳴(めみょう)・竜樹・無著(むじゃく)・天親乃至天台・伝教のいまだ弘通しましまさぬ最大の深秘の正法、経文の(おもて)に現前なり。此の深法(いま)末法の始め五百歳に一閻浮提に広宣流布すべき云

云ご(同八五一行)

と仰せのように、像法時代には、いまだ深密の大法を弘めざるが故であります。

以上の如く、像法時代の流布は、在世八年よび末法と異なり、真実の法華経の流布にあらざるか故に、法華経流布の時に数えないのであります。

次に「(しか)るに天台・妙楽・伝教等は進んでは在世法華の御時にももれさせ給ひぬ。退いては滅後末法の時にも生まれさせ給はず・中間なる事をなげかせ給ひて末法の始めをこぴさせ給ふ御筆(おんふで)なり」と仰せでありますが、これは、法華経流布の時が在世と末法の二度ありましたが、天台・妙楽・伝教の三師は、いずれも像法時代の人であり、仏在世の法華経が説かれた時にも生まれ合わせず、また下種の法華経が説かれた滅後末法にも生まれ合わせず、その中間の像法時代に生まれたことを嘆き、御本仏の御出現される末法の始めを恋い慕われて記されたのが、天台・妙楽・伝教の三師の釈であると仰せられているのであります。

すなわち、その三師の釈とは、一つには天台大師の『法華文句』の、

「後五百歳遠く妙道に(うるお)はん」(同八三八頁等)

との御文であります。

この御文は、天台が経文を何故に序・正・流通(るつう)の三段に分別するかを述べられたなかで仰せられたもので、法華経は三世の仏法であり、現世だけではなく、未来永劫にわたって功力(くりき)があることを明かされたものであります。

天台は後五百歳すなわち、末法に文底秘沈の大法が流布することを内鑑せられたるが故に、末法を恋い慕い「後五百歳遠く妙道に沾はん」と述べられているのである、と仰せられているのであります。

次に、妙楽大師の『法華文句記』の、

「末法の初め冥利(みょうり)無きにあらず」(学林版文句会本上三九頁)

との御文であります。

これは、妙楽が天台の『法華文句』の「後五百歳遠く妙道に(うるお)はん」の文を釈して、『法華文句記』に、

「末法の初め冥利無きにあらず。(しばら)く大教の流行(るぎょう)すべき時に()る、故に五百と云う」(同頁)

とある御文を指します。

冥利とは下種益・冥益のことで、その文意は、末法に三大秘法の大法が流布して大利益があることを指しているのであります。

すなわち、正法・像法時代は過去の結縁が熟脱する故に顕益でありましたが、末法は下種結縁の故に冥益となるのであります。その冥益とは、気づかないうちに受ける功徳・利益のことで、『法華玄義』によれば、法身如来の冥応によって受ける功徳を言い、これに対して応身如来の応現によって受ける功徳を顕益とすると釈されています。

三に、伝教の『守護国界章』の、

「正像(やや)過ぎ()はって末法(はなは)だ近きに有り、法華一乗の機今(まさ)しく是其の時なり。何を以て知ることを得ん。安楽行品に云はく、末世法滅の時なり」(御書八三八頁)

の御文、および同じく伝教の『法華秀句』の、

()を語れば(すなわ)ち像の終はり末の初め、地を尋ぬれば唐の東・(かつ)の西、人を(たず)ぬれば則ち五濁の生・闘諍の時なり、経に云はく、猶多(ゆた)怨嫉(おんしつ)(きょう)滅度(めつど)()と、此の言(まこと)(ゆえ)有るなり云云」(同頁頁)

との御文であります。

初めの『守護国界章』の「正像稍過ぎ已はって末法太だ近きに有り」云々の御文について、『法華取要抄』には、

「『末法太有近』の五字は我が世は法華経流布の世に(あら)ずと云ふ釈なり」(同七三六頁)

と仰せられ、また『顕仏未来記』には、

「末法の始めを願楽(がんぎょう)するの言なり」(同六七五頁)

と仰せのように、伝教が末法において法華経すなわち、三大秘法の南無妙法蓮華経が弘まることを思慕されて記された御文であります。

次に『法華秀句』の「代を語れば則ち像の終はり末の初め」云々の御文は、法華経流布の時代は「像の終はり末の初め」すなわち末法である、との意であります。

すなわち、天台、妙楽、伝教共に、仏の在世に法華経が説かれた時にも生まれ合わせず、また下種の法華経が説かれる滅後末法にも生まれ合わせず、その中間に生まれたことを嘆き、御本仏の御出現と、三箇の秘法が広宣流布する末法の初めを恋い慕って記されたのが、今申し上げたところの御文なのであります。

次に「例せば阿私陀(あしだ)仙人が悉達(しった)太子の生まれさせ給ひしを見て悲しんで云はく、現生には九十にあまれり、太子の成道を見るべからず、後生には無色(むしき)界に生まれて五十年の説法の座にもつら()なるべからず、正像末にも生まるべからずとなげきしがごとし」と仰せでありますが、この段は、前の段の釈の意を述べられたものであります。

阿私陀仙人とは、古代インドのバラモンの長老で、釈尊誕生の時にその相好(そうごう)を見て、「三十二相を具えているから、在家のままであれば転輪聖王(じょうおう)となり、出家すれば一切種智を悟って必ず仏に成る人である。しかし、私は今、九十歳であるから、釈尊が成道するまで生きておれないし、後生には無色界に生まれて、釈尊五十年の説法の座にも連なることができない。さらに正像末の三時にも、この

娑婆世界に生まれてこれないのは、まことに悲しい」と嘆かれ、像法時代の天台、妙楽、伝教等が在世法華経の時にも漏れ、滅後末法の時にも漏れたことを嘆かれると同様に、阿私陀仙人もまた、釈尊の成道に巡り値えなかったことを嘆かれた例として、この御文を示されているのであります。

次に「道心あらん人々は(これ)を見()ゝて悦ばせ給へ。正像二千年の大王よりも、後世をも()はん人々は、末法の今の民にてこそあるべけれ。此を信ぜざらんや。()の天台の座主よりも南無妙法蓮華経と唱ふる癩人(らいにん)とはなるべし。(りょう)の武帝の願に云はく『(むし)提婆(だいば)達多(だった)()て無間地獄には沈むとも、鬱頭羅弗(うずらんほつ)とはならじ』と云云」と仰せでありますが、この御文意は、今、悟りを求める菩提心のある人々は、天台・妙楽・伝教の三師の釈、および阿私陀仙人の話を聞くにつけ、大いに悦ぶべきである。なぜならば、今日、下種の法華経の弘まる時に生まれ合わせたることは、正像二千年の間に生まれて、大王となって我が意の如く振る舞うよりも勝れているからである。なぜなら、後世の成仏を願う人々は、末法の今の民となって下種の法華経を信ずるには及ばないからであり、このことをよくよく信ずべきである。したがって、天台の座主となるよりも、末法において南無妙法蓮華経と唱える癩病人となるべきである。南無妙法蓮華経こそ、末法一切衆生の成仏得道の秘法なるが故である。よって、梁の武帝の発願の文には「寧ろ提婆達多となて無間地獄には沈むとも、鬱頭羅弗とはならじ」と言われているのであると、このように仰せられているのであります。

「提婆達多」とは、釈尊の弟子となりながら退転し、逆罪を犯して釈尊を迫害した悪比丘(びく)であります。幼いころから釈尊に敵対し、のちに出家して釈尊の弟子となりましたが、高慢な性格から退転し、新教団を創ったり、釈尊を殺害しようとするなど、五逆罪を犯したのであります。また、阿闍世王をそそのかして、その父王を殺させましたが、のちに阿闍世王は釈尊に帰依し、提婆達多は生きながら地獄に堕ちたと言われております。しかし、法華経提婆達多品には、釈尊が過去世に修行中、阿私仙人として釈尊の善知識となったのが提婆達多であったとされ、天王如来として未来成仏の記別を与えられ、悪人成仏の例とされております。

「鬱頭羅弗」とは、王舎城近郊の森の中に住んでいた外道の仙人で、鬱頭羅弗が五通を得ようとして、林間に修行し、まさに得ようとする時、鳥が樹上に鳴いてその心を乱したため、林を去って水辺に至って修禅しようとしましたが、今度は魚が騒いで水を動かしたため、彼は「ことごとく魚を殺してやろう」と思ったのであります。が、久しくして、(じょう)を得て悲想非非想天に生まれたのち、八万劫の寿命を終わって下生すると、飛狸(ひり)、飛ぶ(たぬき)となって諸々の烏や魚を殺し、無量の罪を作って三悪道に()ちたと言われております。

すなわち、鬱頭羅弗の如く、外道の心でも少しく勝れたものがあり、わずかな間でも五通を得て、天上界に生まれることができましたが、結局は仏の教えでなければ救われず、最後には三悪道に堕ちてしまったということであります。

それに比べ、提婆達多は五逆罪を犯しましたが、仏法に縁したことによって救われたのであります。まさに「縁なき衆生は度し難し」と申しますが、成仏得道のためには、仏縁を結ぶということが、いかに大事であるかを知るべきであります。

故に、大聖人は『三世諸仏総勘文教相廃立』に、

「縁とは三因仏性は有りと雖も善知識の縁に()はざれば、悟らず知らず顕はれず。善知識の縁に値へば必ず顕はるゝが故に縁と云ふなり」(同一四二六頁)

と仰せられています。

私どもは皆、それぞれ仏性を内在しておりますが、仏性があるというだけでは成仏には至らないのであります。仏性は善知識の縁に値わなければ、仏性が仏性としての(はたら)きをしないのであります。

その善知識とは、常の習いには、正法の人をもって善知識といたしますが、時に経巻あるいは法をもって善知識とされているのであります。

故に、大聖人は『守護国家論』に、

「在世滅後の一切衆生の誠の善知識は法華経(これ)なり」(同一五一頁)

と仰せられているのであります。

法華経とは、今時(こんじ)末法観心の上から拝せば、法華本門寿量品文底秘沈の大法たる南無妙法蓮華経であります。

されば、末代の衆生は、本門戒壇の大御本尊を帰命(きみょう)依止の本尊と(あが)め奉り、至心に自行化他の信心に励むところに、過去遠々劫(おんのんごう)の罪障を消滅し、転迷開悟の大功徳を享受することができるのであります。

今、宗門は第二祖日興上人御生誕七百七十年を迎え、僧俗一致・異体同心して折伏を実践し、身軽(しんきょう)法重・死身弘法(ぐほう)の熱き戦いによって、国内・国外共に成果を総計すると、法華講員五〇パーセント増の誓願を達成し、微力ながらも御報恩申し上げることができました。

これひとえに、国内外の指導教師ならびに法華講員各位の多大なる尽力によるものであり、各位の奮闘を心から称賛するとともに、次の目標たる、平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築へ向かって、異体同心・一致団結して、なお一層の御精進を心から願い、本日の法話を終えます。

宗祖大聖人、『報恩抄』にのたまわく、

「日蓮が慈悲曠大(こうだい)ならば南無妙法蓮華経は万年の(ほか)未来までもながる(流布)べし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。此の功徳は伝教・天台にも超へ、竜樹・迦葉にもすぐれたり。極楽百年の修行は穢土(えど)の一日の功に及ばず。正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか。是はひとへに日蓮が智のかしこきにはあらず、時のしからしむるのみ」(同一〇三六頁)

大白法 平成27年3月16日刊(第905号)より転載