人生を幸せに生きていくために(延寿寺は高知県南国市に所在する日蓮正宗の寺院です。このホームページは法華講 延寿寺支部が管理・運営しています)

冠婚葬祭

初参り

本宗では、生れた子をはじめて日蓮正宗寺院に参詣させることを「初参(はつまい)り」と称しています。子供の初参りは、世間では生後三十日前後、あるいは百日前後と、地域の風習によってさまざまですが、本宗では特に何日目という定めはありません。乳児の生育の様子などによって日を決め、所属寺院にはできるかぎり家族(そろ)って参詣することが望ましいでしょう。ここでは御授戒をいただき、子供の健やかな成長と法統(ほっとう)相続を御本尊に祈念します。
日蓮大聖人は、
就中(なかんずく)、夫婦共に法華の寺者(じしゃ)なり。法華経流布(るふ)あるべきたね()をつぐ所の玉の子出で生れん。目出度(めでたく)く覚え候ぞ。色心二法をつぐ人なり」(四条金吾女房御書 新編464頁)
と仰せられているように、妙法を受持する夫婦の間に生れる子供は、信心を受け継ぎ、正法流布の担い手としてこの世に生れてくるのです。
したがって本宗の初参りは、世間的な人生の慶事としての意味ぼみではなく、広布の人材として成長することを願う大切な儀式なのです。

七五三祝い

子供の成長の節目とする、三歳の男女児、五歳の男児、七歳の女児を対象に、毎年十一月十五日に七五三祝いが行われます。
本宗では、一応世間の風俗にならって、七五三祝いの日にその祝儀を行います。これは悪鬼の宿る神社に詣でるのを防ぎ、正法の寺院に参詣せしめるという目的から行われています。
大聖人は、
女子(おなご)は門をひらく、男子(おのこご)は家を()ぐ。日本国を知りても子なくば誰にかつがすべき。(たから)を大千に()てゝも子なくば誰にかゆづる()べき。されば外典(げてん)三千余巻には子ある人を長者といふ。内典五千余巻には子なき人を貧人といふ」(上野殿御返事 新編1494頁)
と仰せられて、子供は無上の財であると教えられています。すなわち、正法を(たも)った親にとって子供は、大聖人の仏法を受持し、広く流布していくための大事な後継者であることから財といえるのです。
また、十一月十五日は第三祖日目(にちもく)上人の祥月(しょうつき)命日にあたっています。広宣流布の(あかつき)には、日目上人が出現されるという、宗門古来のいい伝えがあります。
したがって、この意義ある日に寺院に参詣して仏祖三宝(さんぽう)に御報恩申し上げ、未来における広布の(にな)い手である子供の息災(そくさい)と成長、さらに信心倍増を祈念することが大事なのです。

成人式

毎年、「成人式」に合わせ、満二十歳を迎えた青年男女を対象として、本宗寺院においても成人式が()り行われます。
成人とは、一般的には「成年に達した人」との意で、大人としての自覚と責任のうえから、社会人としての良識ある振る舞いが求められる年齢に達した人をいいます。
本宗信徒は成人式において、無事、成人を迎えたことを御本尊に報恩感謝申し上げるとともに、両親をはじめとする自らを育んでくれた人々の恩の恩を自覚し、生涯、不退転の信心をもって広布の人材として精進していくことを誓うことが肝要です。日蓮大聖人は、
「法華を()る者は世法を()べきか」(観心本尊抄(かんじんのほんぞんしょう) 新編662頁)
と、法華経を信仰する人は、世間の道理をも(わきま)えることができると仰せです。すなわち、正しい信仰に励むことによって、確固たる人生観を築き、社会人としての良識が培われ、さらに立派な人格・品性もおのずとそなわっていくのです。
したがって成人式は、成人を迎えたことを機に信仰を深化させ、たゆまざる実践修行の積み重ねをもって、一段と成長した人間となりゆくことを決意する日としたいものです。

結婚式

結婚式は、寺院御宝前において執行(しっこう)することを基本とします。ここでは、読経・唱題の後、三々九度の(さかずき)を交わし、末永い夫婦の(ちぎり)りを結ぶことを御本尊にお誓いします。
これは、正法を受持した夫婦が、その信心を基盤として健全な家庭を築き、御本仏大聖人の広大な大慈悲に(むく)いるため、正法興隆(こうりゅう)を期して精進し、また合わせて家運の興隆、子孫の繁栄を祈り、法燈(ほうとう)相続を願うという深い意義が込められています。
本宗信徒は、これらの意義を(わきま)え、神社やキリスト教会などで婚儀を行うことは慎むべきでしょう。
大聖人は、夫婦のあり方について、
をとこ()はしら()のごとし、女はなかわ()のごとし。をとこ()は足のごとし、女人は身のごとし。をとこは羽のごとし、女は()のごとし。羽とみとべちべちになりなば、なにをもってかとぶべき。はしら()たう()れなばなかは()地に()ちなん。いへ()にをとこなければ人のたましゐ()なきがごとし」(千日尼御返事 新編1476頁)
と、一心同体をもって和合することが大切であると示されています。結婚を控えた二人は、その深い因縁と意義を自覚して婚儀に(のぞ)むべきです。

地形式・起工式

地形式は、新たに土地を購入したときなど、その土地を清めるために行う儀式をいい、一般には地鎮祭ともいいます。また起工式は、建物を新築するときなど、工事をはじめるにあたって執り行う儀式をいいます。大聖人は『草木成仏口決』に、
「妙法とは有情の成仏なり、蓮華とは非情の成仏なり。有情は生の成仏、非情は死の成仏、生死の成仏と云ふが有情・非情の成仏の事なり」(新編 522頁)
と仰せられ、御本尊に対し題目を唱えて祈念すれば、有情(意識あるすべての生物)も非情(木や石など意識のないもの)もともに、必ず仏になることができると教示されています。
この仏法の原理に基づき、地形式・起工式は、御本尊の大功力と、正法を持つ僧俗の信心をもって、謗法によって穢れた非情の敷地を清め、工事の無事竣工を祈る儀式なのです。
これらの式には、祭壇を設けて仏具を調え、御造酒、洗米や塩、季節の野菜や果物などをお供えし、寺院よりお迎えした御本尊を奉掲して僧侶の導師により、読経・焼香・唱題を行います。
なお、鍬入れを行う場合は、祭壇のわきに砂を盛って鍬や鋤などを用意し、読経後、導師、願主、施工者の順に三度、砂に打ち込みます。

上棟式

上棟式は、一般に「棟上げ」とも「建前」ともいわれ、地形式・起工式の後、家屋の基礎となる骨組み、結構が整い、棟木を上げたときに行われる祝儀です。ここでは、御本尊を奉掲して仏祖三宝に御報恩申し上げ、工事の無事竣工と家屋の安全を御祈念します。
なお、上棟式の祭壇や供え物は、地形式・起工式に準じます。
また、建物が完成した後は、僧侶の導師により落成式を行い、仏祖三宝に無事竣工できた報告を行い、御報恩謝徳申し上げます。

葬儀

葬儀は、故人の即身成仏を御本尊に願って行う大事な儀式です。
この葬儀に奉掲する御本尊は、故人を寂光浄土へ引導し即身成仏せしめることから、「導師御本尊」「導師曼荼羅」と称されます。曼荼羅の功徳について大聖人は、
「此の曼荼羅は文字は五字七字にて候へども、三世諸仏の御師、一切の女人の成仏の印文なり。冥途にはともしびとなり、死出の山にては良馬となり、天には日月の如し、地には須弥山の如し。生死海の船なり。成仏得道の導師なり」(妙法曼荼羅供養事 新編689頁)
と仰せられています。
葬儀に際しては、所属寺院より故人に対して戒名が下付され、僧侶の導師のもとに読経・唱題・回向が行われます。大聖人は、
「今日蓮等の類聖霊を訪ふ時、法華経を読誦し、南無妙法蓮華経と唱へ奉る時、題目の光無間に至って即身成仏せしむ」(御義口伝 新編1724頁)
と仰せられているように、この葬儀によって故人は大御本尊の功徳に浴し、成仏を遂げることができるのです。喪主や遺族は、導師の読経に唱和し、故人の即身成仏を心から祈念していくことが大事です。
なお、葬儀に白木の位牌を用いますが、五七日忌・七七日忌等の法要を終えた後、自宅の過去帳に戒名を記入していただき、位牌は寺院に納めます。

法事

法事は、故人の忌日や年忌等の際に、寺院に願い出て営む法要です。これには、初七日忌から七七日忌(四十九日忌)、百箇日忌、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌、五十回忌等があります。ここでは、故人の菩提を期して、僧侶の導師のもとに読経・唱題し、塔婆建立の功徳をもって、追善供養を行います。この法事を修することにより、故人はその節目節目に御本尊の功徳に浴し、遺族もまた功徳善根を大きく積むことができるのです。
大聖人の御在世には、富木入道が母親の三回忌にあたり、下総から身延の大聖人のもとへ参詣して追善供養を願い、また、阿仏房の遺子・藤九郎守綱も、親の遺骨を抱えてはるばる佐渡より身延に登山し御回向を願われています。そのほか曾谷入道、千日尼、形部左衛門尉の女房等も、親の年忌に追善供養を行ったことがうかがえます。大聖人は、
「其の時過去聖霊は我が子息法蓮は子にはあらず善知識なりとて、娑婆世界に向かっておがませ給ふらん。是こそ実の孝養にては候なれ」(法蓮抄 新編820頁)
と仰せられ、真心からの追善供養を営まれた信徒を称讃されています。
また寺院では、永代回向願や大過去帳記入願による追善回向が行われています。
なお、法事を自宅で行うときは、仏壇の清掃にも心を配り、仏供と季節の果物や菓子、お酒などを御本尊にお供えし、精霊用のお膳があれば精進料理を供えます。ただし、魚や肉のほか、五辛(にら・らっきょう・ねぎ・にんにく・しょうが)は避けます。

塔婆供養

先祖や故人の命日・年忌、春秋の彼岸や盂蘭盆(うらぼん)などには、追善供養のため塔婆(とうば)建立(こんりゅう)します。
塔婆とは、もともと古代インドの語で「卒塔婆(そとば)(スツーパ)」といい、「塚」「(びょう)」「方墳(ほうふん)」などを意味し、特に仏教においては、仏舎利や経巻などを安置した供養の塔をいいます。この塔は、仏に対する報恩と信仰を象徴(しょうちょう)したもので、その形も五重塔などの堂塔から五輪の石塔・角塔婆・板塔婆などの種々の供養塔として表されています。
塔婆は、丸や角の形を積み重ねて一つの体を表しています。下から方形(四角)・円形・三角形・半円形・如意(にょい)宝珠(ほうじゅ)の順序で五輪(ごりん)の塔に組立てるのが基本的な形であり、これは一切の森羅万象(しんらばんしょう)を構成する()(すい)()(ふう)(くう)の五大を表しています。このことについて大聖人は、
「五行とは地水火風空なり。(中略)(これ)(すなわ)ち妙法蓮華経の五字なり」(総勘文抄(そうかんもんしょう) 新編1418頁)
と仰せられ、地・水・火・風・空の五大が妙法蓮華経の五字を意味することを説かれています。そして、その塔婆に戒名(かいみょう)等を記すことにより、故人の生命が仏とともにあることを示すのです。
本宗における塔婆供養は、五輪が刻まれた板に題目と故人の名を(したた)め、御本尊のもとで読経・唱題し回向すると感応妙(かんのうみょう)の原理により、その塔婆は仏界を現じ、真の追善供養がなされるのです。大聖人は、
「丈六のそとば(卒塔婆)をたてゝ、其の(おもて)に南無妙法蓮華経の七字を顕はしてをはしませば、(中略)過去の父母も彼のそとばの功徳によりて、大の日月の如く浄土を()らし、孝養の人並びに妻子は現世には寿(いのち)を百二十年持ちて」(中興入道(なかおきにゅうどう)御消息 新編1434頁)
と仰せられ、塔婆供養の功徳は自他ともに及ぶことを示されています。
本宗信徒は、
「いかにもいかにも追善供養を心のをよ()ぶほどはげみ給ふべし」(上野殿後家尼御返事 新編338頁)
と大聖人が仰せのとおり、真心からの追善供養を心がけるべきです。

諸祈念願

「祈念」とは、一般に祈祷(きとう)・祈願・祈請(きしょう)などともいわれ、神仏に対し心願を込め自他の(わざわ)いを払い、幸福と利益を祈り求めることをいいます。
日蓮正宗信徒は、寺院に当病(とうびょう)平癒(へいゆ)や安産祈願などの諸祈念を願うことができます。寺院へは、本人が参詣して導師の僧侶とともに読経・唱題・祈念することが肝要です。
日蓮大聖人は、
「祈りも又()くの如し。よき師とよき檀那(だんな)とよき法と、此の三つ寄り合ひて祈りを成就(じょうじゅ)し、国土の大難をも払ふべき者なり」(法華初心成仏抄 新編1314頁)
と仰せられ、よき師(僧侶)、よき檀那(信徒)、よき法(南無妙法蓮華経)の三事が相応して、諸願も成就すると説かれています。
また、祈りの姿勢について、
「あひかまへて御信心を出だし此の御本尊に祈念せしめ給へ。何事か成就せざるべき」(経王殿御返事 新編685頁)
と示され、祈念の成就には強盛(ごうじょう)な信心をもって唱題することの大事を教えられています。
なお、寺院への諸祈念願いとして、当病平癒祈念・安産祈念・命名祈念・(やく)払い祈念・進学就職祈念など、その願旨(がんし)も多種多様ですが、要は、正法を信ずる者は、南無妙法蓮華経の御本尊の御威光(いこう)倍増と、御本仏大聖人の御加護を祈り、その御利益によって、必ず一切の請願も成就するとの確信に立つべきなのです。

出典:日蓮正宗入門から転載

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