本日、皆様には、第二祖日興上人御生誕七百七十年奉祝大法要に参加され、まことにおめでとうございます。

御承知の通り、宗門は平成二十一年の七月、総本山で行われた「立正安国論正義顕揚七百五十年記念七万五千名大結集総会」を大成功()に開催することができました。

続いて、第二祖日興上人御生誕七百七十年、法華講員五〇パーセント増の誓願達成に向けて戦ってまいりましたが、各支部とも僧俗一致・異体同心して全力を傾注し、大折伏戦を展開して戦ってきた結果、国内・国外共に成果を総計すると、五〇パーセント増の誓願を達成することができました。

まことにもってすばらしい結果でありますが、ただし残念なことは、わずかではありますが未達成の支部があり、全支部達成とはなりませんでした。

本日、お集まりの講頭さん方のなかにも、全支部誓願達成のために他支部に行って、頑張ってくださった方も大勢いらっしやると思います。当然、各布教区の方々も協力して未達成支部へ積極的に応援に入りましたが、それでも達成に至らず、残念な結果となりました。

しかし、我々はこの結果を、次の戦いに活かしていくことが肝要であろうと思います。未達成が、ただ未達成で終わることであっては意味がありません。どんなことでも、すべて活かしていくことが仏法でありますから、この未達成を一つの(かて)として次の戦いに臨むことが大事だと思います。

つまり、同じ失敗を繰り返さないということでありますが、そのためには、いかに戦っていくかを指導教師の指導のもとに、各講中がしっかり作戦を立てていくことが大事であります。

また、未達成の理由も総括して、なぜ負けたかという原因を(ただ)していかなくてはなりません。「勝つには勝った」「負けには負けた」、その勝ち負けの要素をしっかりと(つか)んでいくことが、次の戦いへの大きな力になると思います。

その意味から、誓願を達成した支部も勝ちにおごることなく、勝って(かぶと)()を締め、より良い作戦を立て、講中全員が折伏に参加できる態勢作りをし、来たるべき平成三十三年の法華講員八十万人体勢構築のための戦いに臨んでいただきたいと思います。

いつも申し上げていることでありますが、勝利の秘訣(ひけつ)は、唱題をして異体同心することであります。これには一つのプロセスがありまして、唱題をしっかりとして異体同心の戦いをしている支部は、必ず勝っています。ただし、唱題が唱題だけで終わっている支部は勝てません。唱題が唱題で終わるだけではなく、唱題の功徳と歓喜をもって折伏に打って出る、すなわち実践が伴わなければならないのです。

大聖人様の仏法は自行化他の仏法であり、自行と化他を行ずるところに大きな功徳が存するわけであります。もし折伏という行動をなくしてしまったならば、頭でっかちの者となり、理の仏法となってしまいます。理の仏法では、爾前迹門と同じでありますから功徳はありません。このことを講頭さん方はよく考えて、指導教師の指導のもとに、しっかりとした作戦を立てていただきたいと思います。

来たるべき平成三十三年の戦いは、今の様々な状況から見ると、けっして楽な戦いではなく、厳しい戦いになると思います。けれども、邪義邪宗を破折して正法を弘めていくという厳しい戦いだからこそ功徳があるのです。その渦中(かちゅう)にあえて臨んでいく決意と行動を起こさなければ、我々は本当の幸せを掴むことはできないのであります。

『法華初心成仏抄』には、

「元より末法の世には、無智の人に機に(かな)ひ叶はざるを(かえり)みず、(ただ)()ひて法華経の五字の名号を説いて持たすべきなり。()の故は釈迦仏、昔不軽菩薩と云はれて法華経を弘め給ひしには、男・女・尼・法師がおしなべて用ひざりき。(ある)(ののし)られ(そし)られ、或は打たれ追はれ、一しなならず、或は(あだ)まれ(ねた)まれ給ひしかども、少しも()りもなくして強ひて法華経を説き給ひし故に今の釈迦仏となり給ひしなり」(御書 一三一五頁)

と仰せであります。

この御文のように、折伏とは強いて法華経を説く、強いて妙法を説くということが大事なのであります。私達は、折伏の()り方をしっかりと根本から学んでいかなければなりません。仮りに、謗法を容認したままの妥協(だきょう)した折伏で入信することがあっても、その人に功徳はないのです。そんな信心では、幸せは掴めません。これは入信した側の責任ではなく、折伏した側の責任です。

ですから「強ひて法華経の五字の名号を説いて持たすべき」であることが大事であり、これこそが折伏の本来の意味なのであります。つまり、折伏は摂受(しょうじゅ)ではないので、時に相手や世間から色々と批難を浴びるかも知れません。しかし、妙法広布に生きる我々は、そんなことにたじろいでしまったら、大聖人様の御本意に反することになります。

まさしく折伏とは、強いて大聖人様の妙法を説くことを言うのであり、この末法の世の中で、どんなに摂受を修行しても功徳がなく、折伏を行じてこそ、本当の功徳があることを忘れてはならないのです。

折伏をすれば、様々な難儀に()いますが、妙法弘通に困難や障害は付き物であります。大聖人様の御一代を拝しますと、「大難四カ度、小難数を知らず」と言われるように、佐渡の配流(はいる)、伊豆・伊東の法難、小松原の法難等の様々な難がありましたが、そのなかで大聖人様は、真の信心の強さをお教えくださっているのです。

今日、我々は、大聖人様の仏法を正しく伝え、正しく護持していく日蓮正宗の僧俗の集団であります。この大聖人様の御一代を通して、我々は真剣に「一心欲見仏 不自惜身命」の信心に励んでいかなければならないと思います。

法華経勧持品のなかに、

「我等仏を敬信(きょうしん)して (まさ)忍辱(にんにく)(よろい)()るべし ()の経を説かんが為の故に ()(もろも)の難事を(しの)ばん 我身命(しんみょう)を愛せず (ただ)無上道をruby>惜(おし)む」(法華経三七七頁)

と示されております。

たとえいかなる難事が来ようとも、大御本尊様を信じ、忍辱の鎧を身に着けて、ただ無上道を惜しむことを決意して題目を唱え、折伏を行じていく限り、必ず難事を乗り越えていくことができる、これが妙法蓮華経のすばらしい功徳であります。反対に、自分だけり信心にこだわって、折伏もせず、謗法を破折しないようでは、

「いかなる大善をつくり、法華経を千万部書写し、一念三千の観道を得たる人なりとも、法華経のかたき()をだにもせめざれば得道ありがたし」(御書三二二頁)

との御文の如く、成仏得道はできないと大聖人様はおっしゃっているのであります。

我々が真の成仏を果たすためには、この決意を持って信心に臨んでいかなければなりません。強い信念とそれに基づく行動が、我々にとって大切なことであります。

どうぞ、このことをお忘れなく、皆さん方は御自分の講中をしっかりまとめて、講中挙げて、すべての人が折伏に打って出られるようにしていくことが大事です。

そのために、まず、講頭さんが先頭に立ち、折伏の輪を広げていっていただきたい。そうすることで、次から次へと折伏の輪が広かっていくのであります。また、講頭さんが輪の中心となって、指導教師と連絡を取り、どのように戦いきっていくかを考えてもらいたいと思います。

皆さん方も生業(なりわい)を持っていらっしやると思いますので、時間がたっぷりあるわけではありませんが、その少ない時間をどのように活かしていくか。それこそ、講中の方々と共に戦っていく大切な時間ですから、無駄にしないように信心に励んでいただきたいと思います。

さて、これまでの宗門の流れを見ますと、平成二十一年までの戦いは、どちらかといえば結集を中心にした戦い、つまり折伏をして大結集をしようという戦いでありました。この戦いで「三万総登山」、「地涌六万総会」、「プレ大会」、そして平成二十一年の「七万五千名大結集総会」のいずれも大成功に収めました。けれども、平成二十二年から宗門は、折伏を前面に出した戦いに切り替えたわけであります。このことを、講頭さん方がしっかりと認識していく必要があります。

今、不幸な方々がたくさんいる世の中で、法華講は何をすべきか。戒壇の大御本尊様を信じなくなってしまった、創価学会の哀れな姿を見てください。この学会員を救っていけるのは、我々だけなのであります。我々の責任において、すべて救っていかなければなりません。

そこに我々の、今生(こんじょう)に生を受けて、大聖人様の仏法に巡り()えた生きがいを感じるのではないでしょうか。生きがいのない、だらだらとした人生はもったいない。尽くすならば、我が一生を御法のために尽くしていくことこそ、価値ある人生ではありませんか。

その講中の指揮を執っていくのが、講頭さん方なのであります。まず、講頭さんが決意して動かなければ、講中は絶対に動きません。そのような意味から、指導教師の指導を受けきって、講中の人達と共に戦い、平成三十三年に向かって大前進をしていただきたいと思います。

我々から折伏を取ってしまったら何も残りません。大聖人様の御遺命は、一天四海皆帰(かいき)妙法広宣流布なのであります。その御遺命を果たしていく具体的な戦いこそ、折伏ではないでしょうか。

私は、師匠であった観妙院日慈上人から「信心とは折伏なり」と教わりました。

まさしく、私もそのように思います。我々、日蓮正宗は折伏の集団であります。つまり、世の中を良くし、人々を幸せにしていく集団なのです。

このことを講頭さん方は御認識いただいて、是非とも本日から、平成三十三年の誓願達成に向かって、勇躍して出発することを心からお願いいたしまして、本日の話といたします。

大白法 平成27年3月16日刊(第905号)より転載