一月度の唱題行最終日に当たりまして、一言申し上げます。

元旦から始めました本年度一月度の唱題行も、本日をもって終了いたしますが、皆様には1ヵ月間、まことに御苦労さまでございました。

大聖人様は『法華初心成仏抄』に、
(およ)そ妙法蓮華経とは、我等衆生の仏性と梵王(ぼんのう)・帝釈等の仏性と舎利弗(しゃりほつ)・目連等の仏性と文殊(もんじゅ)弥勒(みろく)等の仏性と、三世諸仏の(さと)りの妙法と、一体不二なる理を妙法蓮華経と名づけたるなり。故に一度妙法蓮華経と唱ふれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔(えんま)法王・日月・衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を(ただ)一音に()び顕はし奉る功徳無量無辺なり」(御言 一三二〇頁)
と仰せられております。

この御文は、唱題の意義と功徳について明かされているものでありますが、我ら衆生と、梵天、帝釈、二乗乃至、菩薩等のあらゆる衆生が(そな)えている仏性と、三世の諸仏が悟られた妙法とが、一体不二である法理を妙法蓮華経と名づけるのであると明かされ、それ故、ひとたび妙法蓮華経と唱えるならば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩をはじめ、九法界の衆生など、一切衆生の心中の仏性を「唯一音」によって呼び(あらわ)す功徳を存しており、その仏性喚起の功徳はまことに大きく、無量無辺であると仰せられているのであります。

これは、一切衆生には本来的に仏性を内在しており、唱題によって呼び出された仏性が開発され、そこに計り知れない大きな功徳を生ずることを示されているのであります。

さらに、この唱題の功徳をもって自行化他にわたる信心を行じていくところに、また計り知れない大きな功徳を積むことができるのであります。

されば、大聖人様は『本因妙抄』に、
「信心強盛(ごうじょう)にして(ただ)余念無く南無妙法蓮華経と唱へ奉れば凡身即ち仏身なり。是を天真独朗の即身成仏と名づく」(同 一六七九頁)
と仰せられているのであります。

ここで「天真独朗の即身成仏」と言われている意味は、我ら本未有善の荒凡夫が、妙法蓮華経を信受し、題目を唱えることによって、無作本有(ほんぬ)の姿のままで即身成仏すること、すなわち衆生が凡夫の身を改めることなく、そのまま仏身を成ずることができると仰せられているのであります。

私どもは、かくの如き広大無辺なる妙法の功徳を覚知するとともに、この功徳を自分一人だけに(とど)めるのではなく、広く世間の人々に伝え、下種し折伏を行じていくことが肝要であり、今、宗門にとって最も必要なことであります。

故に『持妙法華問答抄』には、
(すべから)く心を一にして南無妙法蓮華経我も唱へ、他をも(すす)めんのみこそ、今生(こんじょう)人界の思出(おもいで)なるべき」(同 三〇〇頁)
と仰せられています。

今、私どもは、一人ひとりがこの御金言を心肝に染め、近くは本年三月の日興上人御生誕七百七十年、法華講員五〇パーセント増の全支部誓願達成を目指し、さらには平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築へ向けて、僧俗一致して折伏に励み、さらなる精進を続けていくことが、最も肝要であろうと思います。

どうぞ皆様には、いよいよ自行化他の信心に励み、唱題と折伏に、誓願達成へ向けて御精進くださることを心から念じ、本日の挨拶といたします。

大白法 平成27年2月16日刊(第903号)より転載