「仏教」という言葉には、「仏の説いた教え」と「仏になる教え」との二つの意味があります。
この「仏」についても、仏教ではその経典によって、様々に説き明かされており、必ずしもインド出現の釈尊に限られるものではありません。
しかし歴史的に見れば、仏教はインドの釈尊によって初めて説き出されました。
今、私たちが、インド仏教の起源を学ぶことは、仏法者の常識として、さらには大聖人の仏法を、より深く知るためにも、意義のあることと言えましょう。
今回は、仏教が成立する以前のインドの様子について、簡単に説明しておきたいと思います。
仏教成立以前の状況
文明
紀元前三〇〇〇年から二五〇〇年ごろにかけて、当時インド領に属していたインダス川流域にはインダス文明が栄えていました。
インダス文明は、メソポタミア文明・エジプト文明・中国文明等と共に、人類最初の古代文明の一つであり、当時既に下水道まで完備していたモヘンジョ=ダロとハラッパーの両都市の遺跡は世界に広く知られています。
また、当時既に文字を使用していたことも、古代文明の特色として挙げることができます。
このインダス文明の中心となった地域は、現在はパキスタン領になっています。
民族・人種
紀元前二五〇〇年ごろのインドには、ドラヴィダ族と言われる人種が広く定着し、そのほかにも多くの人種がそれぞれの地域に住んでいました。
紀元前一五〇〇年ごろになって、インダス川上流のパンジャーブ地方にアーリア人が侵入し、先住民を征服したことから、次第に自由民(アーリア人)と隷属民(ドラヴィダ人など)との区別がつけられるようになりました。
階級制度
その後、アーリア人がガンジス川上流地方に移住した頃には、人種間の区別から、職業や地位による厳格な身分の差別が定着し、カースト制度と呼ばれる四姓制度が確立されました。
この四姓とは、①バラモン(婆羅門、司祭)・②クシャトリヤ(王侯、士族)・③ヴァイシャ(庶民、商工層)・④シュードラ(隷民=アーリア人以外の人種)を言い、「カスト(caste)」とは、ポルトガル語のcasta(血統)に由来するインド社会で歴史的に形成された身分制度です。
このカースト制度は、その後さらに細かく分かれて、その数は四〇〇〇種にもなり、異なった階級の間での結婚はもちろんのこと、食事を共にすることさえも禁じられたのです。
バラモン教・ヴェーダ聖典
このような社会体制の基盤となったのは、アーリア人による「リグ・ヴェーダ」を根本聖典とするバラモン教でした。
アーリア人はもともと宗教的な民族で、大自然の現象を畏敬し、自然の力を神格化しました。その大自然の神々への賛歌・祈祷・呪法・音楽などをまとめた聖典を「リグ・ヴェーダrigveda」と言います。(「ヴェーダ」とは「神聖な知識」という意味です)
この「リグ・ヴェーダ」が基本となって、さらに三つのヴェーダ聖典が作られました。
大聖人様は御書に、この四つのヴェーダを「四韋陀」と記されています。
このように紀元前一五〇〇~五〇〇年ごろのインドは、「ヴェーダ時代」とも言われるように、バラモン教が広く行われ、それにつれて四姓制度も深く定着していきました。
ガンジス川で沐浴し、牛を崇めることで知られるヒンドゥー教は、バラモンの思想が基礎となって出来た宗教です。
その他の思想・宗教
長い年月にわたってヴェーダ聖典を尊重する中で、経典「ブラーフマナ」に代表される祭式万能思想が生まれ、さらに知識を重視し、宇宙の根本真理を探究する思想が芽生えてきました。
特に、「リグ・ヴェーダ」に端を発した真理探究の思想は、紀元前八〇〇~五〇〇年ごろに至って、ウパニシャッド(奥(おう)義(ぎ)書)哲学として結実します。
このウパニシャッドの思想とは、宇宙の根本原理ブラフマン(梵)と個人の存在の根本原理アートマン(我)とが同一であるという「梵我一如」の考えが基本になっています。
この他にも、『開目抄』等に見られる三人のバラモンの行者(三仙)、すなわち迦毘羅・漚楼僧佉・勒娑婆の教えがあり、また釈尊が出現された時代には、中インドで六師外道が勢力を誇っていました。
『三三蔵祈雨事』には、
「外道と申すは仏前八百年よりはじまりて、はじめは二天三仙にてありしが、やうやくわかれて九十五種なり」(御書 八七六頁)
とあります。
ここでいう「二天]とは、古代インで崇拝された摩醯首羅天(大自在天)と毘紐天(自在天)のことです。
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バラモンをはじめとする仏教以外の思想について、大聖人様は『開目抄』に、
「外道の所詮は内道に入る即ち最要なり」(同 五二五頁)
と、法華経の開会の立場から内道(仏教)に入るための序段と位置づけられています。
なお、これらの思想・宗教は、いずれも因果の理法が明確でなく、現実から遊離した教えであったために、すべての人を根本的に救済する力はなく、カースト支配の社会体制を改革することもできなかったのです。
大白法 平成26年10月16日刊(第895号)より転載