宗旨建立七百六十三年「達成・出陣の年」新年おめでとうございます。

全国の宗内僧俗御一同には、すがすがしく「達成・出陣の年」を迎え、決意も新たに、いよいよの精進・御奉公をお誓いのことと存じます。

昨年、宗門におきましては、各支部の皆様が僧俗一致・異体同心して、真剣に折伏に取り組んできた結果、全国の成果を総計すると、昨年十月末には第二祖日興上人御生誕七百七十年、法華講員五〇パーセント増の誓願を見事、達成することができました。

これもひとえに、皆様方の(たゆ)まぬ強盛(ごうじょう)な信心と、誓願達成へ懸ける熱意の表れであると、心から敬意を表するものであります。

ただし、現在、未達成の支部もわずかではありますが残っており、三月の期日までには全支部が必ず誓願を達成され、晴れて第二祖日興上人への御報恩を尽くされますようお願いいたします。

さて、法華経勧持品を拝しますと。

(もろもろ)聚落(じゅらく)城邑(じょうおう)に ()れ法を求むる者有らば 我(みな)其の所に到って 仏の所嘱の法を説かん 我は()れ世尊の使(つかい)なり 衆に処するに(おそ)るる所無し 我(まさ)に善く法を説くべし 願わくは仏安穏に住したまえ」(法華経 三七八頁)

とあります。

この御文は、勧持品の末文(まつもん)の一節でありますが、御承知の通り、勧持品には「二十行の偈文(げもん)」が説かれ、仏滅後、法華経の行者を種々の形で迫害する、俗衆増上慢・道門増上慢・僣聖(せんしょう)増上慢の三類の強敵(ごうてき)が出現すると説かれています。

俗衆増上慢とは、法華経の行者を悪口(あっく)罵詈(めり)したり、刀杖(とうじょう)を加えたりする、仏法に無知な在家の人々のことであります。

道門増上慢とは、慢心で邪智でゆがんだ心を持ち、仏道について、いまだ得ざるを得たりと慢心し、法華経の行者を迫害する道門、出家の者を言います。

僣聖増上慢とは、聖者のように(よそお)い、社会的に尊敬を受けているが、内面では利欲に執着して、悪心を抱いて法華経の行者を怨嫉(おんしつ)し、権力を利用して流罪や死罪にまで迫害を及ぼす者のことであります。

大聖人様は『寂日房御書』に、

「日蓮は日本第一の法華経の行者なり。すでに勧持品の二十行の偈の文は日本国の中には日蓮一人よめり。八十万億那由他の菩薩は口には()べたれども修行したる人一人もなし」(御書 一三九三頁)

と仰せられています。

すなわち、日蓮大聖人様は妙法弘通に際して、三類の強敵による大難を説くこの偈文を身口意(しんくい)の三(ごう)にわたって読まれ、伊豆・伊東の配流(はいる)、小松原の法難、竜口(たつのくち)の法難・佐渡の配流など未曽有(みぞう)の大難を受けながら、末法の御本仏としての御境地を開顕されたのであります。

また『得受職人功徳法門抄』には、

「我等末法五濁(ごじょく)乱漫に生を受け、三類の強敵を忍んで南無妙法蓮華経と唱ふ。(あに)如来の使ひに非ずや」(同 五九五頁)

と仰せられています。

すなわち、総じて言えば、今、末法に在って三類の強敵を忍び、妙法広布に生きる者は、まさしく「如来の使ひ」であると仰せられているのであります。

「如来の使ひ」とは、仏様から(つか)わされた者。仏様の使者として、あるいは仏様の代理として仏様の法を説き、仏様のように振る舞う人のことで、仏滅後にたとえ一人のためにも妙法蓮華経の一偈一句を説く者は「如来の使ひ」であると仰せられているのであります。

されば今、私達は、一人ひとりが「如来の使ひ」として、広布への使命と自覚をもって、邪義邪宗の謗法の害毒によってむしばまれている多くの人のために、本因下種の妙法を下種・折伏し、救っていくことが大事であります。

ただ、自分自身のことのみに精を出すと思うのではなく、「我れはこれ仏の使いなり」との確固たる決意をもって、一切衆生救済の大偉業たる広布に尽くしていくとあれば、たとえいかなる困難や障害が襲い来たろうが、何も恐るることなく、決然として折伏に励み、我が身を()して、一意専心、広布に尽くしていくことができるのであります。

そして、そこには計り知れない大きな功徳と至高の充実感を味わうことができるのであります。

先程も申し上げましたが、今、宗門は「達成・出陣の年」を迎え、それぞれ日夜、懸命に努力しております。

誓願は、掛け声だけであってはなりません。誓願は達成して初めて仏様との誓いを果たすことができるのであって、仏様との約束を果たすため、なんとしてでも総力を結集して達成しなければならないのであります。

どうぞ、皆様にはこのことを銘記され、自行化他の信心に励み、もって本年ならびに平成三十三年の誓願達成へ向けて、いよいよ御精進くださることを心よりお願いいたします。

なかんずく、先般、創価学会は「会則」の変更を議決し、

「弘安二年の御本尊は受持の対象にはいたしません」(聖教新聞・平成二六年一一月八日付)

と述べて、宗祖日蓮大聖人出世の御本懐である弘安二(一二七九)年の本門戒壇の大御本尊への信仰を否定する旨の発表をいたしました。

私どもは、かくの如き、会員をたぶらかして正しい信仰から切り離す、無慚(むざん)極まる暴挙に対し、毅然(きぜん)として彼らの誤りを(ただ)し、迷える多くの創価学会員を救っていかなければなりません。

されば、私どもは一人ひとりが異体同心の御聖訓を奉戴(ほうたい)し、自行化他の行業に励み、混乱と不幸と苦悩の原因である創価学会をはじめ邪義邪宗の謗法を対治し、もって遠くは一天四海本因妙広宣流布、近くは本年三月の第二祖日興上人御生誕七百七十年、ならびに平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の誓願達成を目指して、なお一層の御精進をされますよう心から念じ、新年の挨拶といたします。

大白法 平成27年1月16日刊(第901号)より転載