誓願達成のためには、『一生成仏抄』に、「深く信心を発こして、日夜朝暮に又懈らず磨くべし」(御書 四六ページ) と仰せのように、日々の精進、努力が肝要であります。
まさしく、折伏は普段からの弛まぬ努力が大事でありまして、『大智度論』のなかには、「梯(はしご)によって初恍(はしごの最初の横木)より漸く上る、上処は高しと雖も、難しと雖も、亦能く至ることを得」とあります。
はしごを昇るには、一歩一歩、確実に昇ることが大切でありまして、折伏も同様、根気よく、不断の努力の積み重ねが大事で、この努力の結果が成果に至るのであります。
そして、この不断の努力と合わせて大切なことは、講中が異体同心・一致団結して組織的に折伏戦を展開することであります。
されば、『生死一大事血脈抄』には、「総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく、水魚の思ひを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり。然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり。若し然らば広宣流布の大願も叶ふべき者か」(御書 五一四ページ)
と仰せられているのであります。また『聖愚問答抄』には、「此の妙法蓮華経を信仰し奉る一行に、功徳として来たらざる事なく、善根として動かざる事なし。譬へば網の目無量なれども、一つの大網を引くに動かざる目もなく、衣の糸筋巨多なれども、一角を取るに糸筋として来たらざることなきが如し」(同 四○八ページ) と仰せであります。
すなわち、折伏に当たっては、大ご本尊様の広大無辺なる功徳について、絶対的確信を持って法を説くことが肝要なのであります。この揺るぎない確信のもとに法を説くところに、相手は心を動かし、入信に至るのであります。