(平成二十七年九月六日 於総本山客殿)
皆さん、おはようございます。
本日は、九月度の広布唱題会に当たりまして、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
御承知の通り、今、全国の法華講は、新たなる目標である平成三十三年・法華講員八十万人体勢構築へ向けて、僧俗一致・異体同心して、力強く前進をいたしております。
なかには、既に本年度の折伏誓願を達成した支部もあり、宗門全体が折伏誓願達成を合い言葉に、お互いに励まし合いながら折伏に取り組んでいることは、まことに喜ばしいかぎりであります。
しかし、同時に注意すべきことは、折伏したあとの育成を怠ってはならないということであります。
そもそも、折伏と育成は一体であります。例えば、折伏はしたが、そのあとの育成を怠っていたのでは、実体的に誓願達成とはなりません。折伏をしたら、その人が立派な法華講員として、広宣流布の戦士となるように育て上げていくことが肝要なのであります。
大聖人様は『四条金吾殿御返事』に、
「受くるはやすく、持つはかたし。さる間成仏は持つにあり」(御書 七七五頁)
と仰せであります。
すなわち、折伏というのはその人を救うことでありますが、その人が救われるためには、ただ入信をしただけでは、過去遠々劫からの罪障を消滅し、本当の幸せを掴むことはできません。その人が自行化他の信心に励むところに、成仏の道が開かれてくるのでありますから、「成仏は持つにあり」と御教示あそばされているのであります。
まさしく、信心は持つことが大事なのであります。そして、その育成を図っていく責任はだれにあるかと言えば、それは折伏した人であり、講中の人達であり、指導教師であります。
具体的には、折伏をしたら信心の基本を正しく教えることが大事でありまして、朝夕の勤行を教え、戒壇の大御本尊様への登山参詣を教え、御講への参詣を教え、折伏することを教えていく、すなわち自行化他の信心を教えていく、これが育成であります。
折伏はしたが、育成をないがしろにしてしまえば、折伏された人にとっても不幸であり、折伏した人もまた、無慈悲の侮りを受けることになります。折伏をして入信した人達が、御本尊様の功徳を頂き、幸せな境界を築けるように教え導いていくのが育成でありますから、入信後の育成を欠いてはならないのであります。まさに育成を怠るということは、子供を生んでも育てることを放棄した親と同じであります。
その育成を図るためには、講中がいかに育成が大事であるかを銘記して、講中全体が育成に真剣に取り組んでいかなければなりません。
されば、来たるべき平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築へ向けて前進をしている今、皆様には折伏したあとの育成をしっかりと行い、まさしく名実共に法華講員八十万人体勢を構築し、もって晴れて宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の佳節を迎えられますよう心から念じ、本日の挨拶といたします。
大白法 平成27年9月16日刊(第917号)より転載