皆さん、おはようございます。本日は、七月度の広布唱題会に当たりまして、皆様には多数の御参加、まことに御苦労様でございます。
さて、本年もいよいよ後半に入りましたが、皆様方には折伏誓願達成へ向けて日夜、御精進のことと存じます。
いつも申し上げていることでありますが、折伏誓願達成のためには、まず、しっかりと唱題に励み、その唱題の功徳と歓喜をもって折伏に打って出ることが肝要であります。
まさしく、唱題の功徳によって様々な困難と障害を乗り越え、あらゆる障魔を打ち砕き、折伏達成に至ることができるのであります。
『法華初心成仏抄』には、
「凡(およ)そ妙法蓮華経とは、我等衆生の仏性と梵(ぼん)脳(のう)・帝釈等の仏性と舎利(しゃり)弗(ほつ)・日連等の仏性と文殊(もんじゅ)・弥勒(みろく)等の仏性と、三世諸仏の解(さと)りの妙法と、一体不二なる理を妙法蓮華経と名づけたるなり。故に一度妙法蓮華経と唱ふれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔(えんま)法王・日月・衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚(よ)び顕はし奉る功徳無量無辺なり」(御書 1320㌻)
と仰せであります。ひとたび妙法蓮華経と唱えれば、ただその一音によって、十界のすべての衆生の心中の仏性が呼び顕され、一切衆生が成仏することができると仰せられているのであります。
また『上野尼御前御返事』には、「法華経と申すは手に取れば其(そ)の手やがて仏に成り、口に唱ふれば其の口即(すなわ)ち仏なり。譬へば天月の東の山の端(は)に出づれば、其の時即ち水に影の浮かぶが如く、音とひゞきとの同時なるが如し。故に経に云わく『若し法を聞くこと有らんも者は一(ひとり)として成仏せずといふこと無けん』云云。文の心は此の経を持(たも)つ人は百人は百人ながら、千人は千人ながら、一人もかけず仏に成ると申す文なり」(同 1574㌻)
と仰せであります。かくの如く、唱題の功徳は広大無辺であり、したがって唱題は我らの一生成仏のためには欠かすことのできない、極めて大事な仏道修行であります。
ただし、『御義口伝』には、「第一 勧持(かんじ)の事 御義口伝に云はく、勧とは化他、持とは自行なり。南無妙法蓮華経は自行化他に亘(わた)るなり。今日蓮等の類(たぐい)南無妙法蓮華経を勧(すす)めて持たしむるなり」(同 1760㌻)
と仰せられているように、自行化他にわたる信心が肝要であって、唱題が単に唱題だけに終わるのではなく、唱題の広大なる功徳と歓喜をもって、折伏を行じていくことが肝要なのであります。
よって、『南条兵衛七郎殿御書』には、
「信心ふかき者も法華経のかたき(敵)をばせ(責)めず。いかなる大善をつくり、法華経を千万部書写し、一念三千の観道を得たる人なりとも、法華経のかたき(敵)をだにもせめざれば得道ありがたし」(同 322㌻)
と仰せであります。大聖人様は、いかに信心深き者であっても、折伏を忘れた信心は「得道ありがたし」と厳しく御制誡あそばされているのであります。
もちろん、我々が折伏を行じていけば、様々な困難や障害、魔が競い起こることは必定(ひつじょう)でありますが、『兄弟抄』には、
「此の法門を申すには必ず魔出来(しゅったい)すべし。魔競はずば正法と知るべからす」(同 986㌻)
と仰せのように、魔が競い起きることは、むしろ我々が正しい信心をしているからであって、このような時こそ、私どもは、
「難来たるを以(もっ)て安楽と意(こころ)得(う)べきなり」(同 1763㌻)
との御金言を拝し、泰然として魔と対峙(たいじ)し、打ち破っていくことが大事なのであります。
今、宗門は新たなる目標である、平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御生誕八百年、法華講員八十万人体勢構築へ向けて、僧俗一致して前進すべき大事な時を迎え、各講中ともに一丸となって昼夜を厭(いと)わず、師子奮迅(ふんじん)力(りき)をもって折伏戦を展開しております。
大聖人様は『佐渡御書』に、
「師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし」(同 579㌻)
と仰せであります。
どうぞ、皆様には一人ひとりがこの御金言を胸に、「師子王の如くなる心をも」って、勇躍として折伏誓願達成へ向かって一意専心、御精進されますよう心から願い、本日の挨拶といたします。