仏教は、すべての人の根本的な救済をめざしています。
では釈尊は、いかなる理念をもって民衆を救済しようとしたのか、二つのエピソードから考えてみたいと思います。
四門出遊(四門遊観)
釈尊がカピラ城の太子だったとき、王城の四つの門から外出した際、東門で腰の曲がった老人に、南門で死にかかった病人に、西門で葬列の死者に出会い、これらの老・病・死という現実は誰人も逃れられない苦しみの相であることを知って、その解決法を考えているとき、北門で一人の出家者が身も心も清浄でいる姿を見て、決然として出家の志を抱きました。
修行と開悟
出家した釈尊は、まず二人の仙人を順次に訪れ、教えの通り禅定を修行しましたが、満足のできるものではありませんでした。
そこで釈尊は山林にこもって苦行を修しましたが、それでも悟りを得られなかったため、河で身を清め、村の少女が捧げる乳粥を食べて元気を取り戻しました。そして苦行は悟りにとって無意義なものであることを知り、近くにある菩提樹の下で沈思瞑想し、ついに大悟を得て覚者となりました。時に釈尊三十歳の時であったと言われています。
現実重視
これらのエピソードから、釈尊が現実を直視した上で、人生を苦と捉え、その解決の道を求めたことが判ります。すなわち仏教の基本理念は、現実の人生を重視するところに立脚しているのです。
毒矢の譬え
この苦を救済することについて、『箭喩経』という経典に「毒矢の譬え」があります。それはおよそ次のような話です。
ある人が毒矢に当たって苦しんでいた。彼の親戚や友人は、早く医者に診せることを勧めたが、肝心の本人は、
「私に毒矢を射たのは、バラモンの人か、庶民か、それとも隷民か。またその人の姓名は何というのか。その人は長身か短身か、皮膚の色はどうか。どこに住んでいるのか。それが判らないうちは毒矢を抜き取るわけにはいかない」
と言い、さらに彼は、
「この毒矢に使った弓は何か、どんな種類の弓か、その弓の弦は何で作られたものか、矢幹は何か、矢は何の羽を使用したのか、毒の種類は何か」
などと質問し議論しているうちに、毒が全身に回って、ついに死んでしまったという。
この譬えは、仏教の現実重視の立場を端的に表わしています。すなわち人生の悩みや苦しみを解決するのに、直接役に立たない不毛の議論は避けるべきであると教えています。
仏教では超越神の存在を否定
釈尊の生きた時代は、「来世は現実に存在するか否か」「世界は有限か無限か」「身体と霊魂は同じか否か」などの観念論が盛んに論じられていました。しかし釈尊は、それらの観念論をいくら追求しても、直ちに結論を出せる問題ではなく、かえって偏った考えに執着して、正覚(正しい悟り)を得られないと戒められています。また仏教では、現実から遊離した創造神や超越神などの架空の存在を認めず、人間の迷悟(迷いと悟り)や禍福(災いと幸せ)は、すべて自らの原因と結果によってもたらされるのであって、それ以外の何ものでもないと説いています。
最近、仏教に名を借りた新興宗教が「霊界からのお告げ」と称してこれを売り物にしていますが、これなどは仏教とは似ても似つかぬ外道(仏教以外の低級宗教)と言うべきでしょう。
未来の果は現在の因による
私たちはややもすれば、貪り・怒り・愚かという三毒の矢が我が身に刺さっているのに、目先のことに執われて、毒矢を抜き取ることを忘れがちではないでしょうか。
釈尊は、この世界の現実を見つめ、人生を「四門出遊」に表わされる四苦・八苦そのものと見、その苦をさらに踏み込んでこの世のすべては苦であり、空であり、無常であり、無我であると達観しました。そして諸々の苦の根本的解決は三世(過去・現在・未来)に亘る因果の法に立脚しなければならないことを明かされました。つまり現在の果報は過去の業因によるものであり、未来の果報は現在の業因によると言うのです。しかも三世は別々のものではなく、過去と未来は現在の一念に包含されているが故に、過去の悪業を浄化し、未来に菩提の果報を得るためには、現世において無上の善業たる正法に信順しなければならないと説いて、釈尊は苦の現実相からの解脱をめざしたのです。
大白法 平成26年9月16日刊(第893号)より転載