自行化他について
 世間においては「暑さ寒さも彼岸まで」と言われますが、一年中で最も気候の良い時に当たり、自身について振り返ることは、たいへん有意義なことです。
 特に、信心について振り返り、仏道修行を邁進させていくことが大事です。
 御法主日如上人猊下は、
「信仰は観念ではなく実践であり、行動であります」(大白法 七六三号)
と仰せられています。この御指南を正しく体現していくための手引きとして、その基本をまとめていきます。

信行学について
 日蓮大聖人様は「諸法実相抄」に、
「行学の二道をはげみ候べし。行学たへならば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候へ。行学は信心よりをこるべく候」(御書 六六八㌻)
と仰せであり、御法主上人猊下は、
「この信行学は仏道修行の基本中の基本であります」(大日蓮 九一五号)
と御指南されています。この信行学を心得て信仰の実践に励むことが大切です。
 はじめに「信」とは、日蓮正宗の仏法を疑うことなく本門戒壇の大御本尊を清浄な心をもって信じることを言います。
 次の「行」とは、大聖人様の教えを御法主上人猊下の御指南のままに実践(修行)することです。
 そして、「学」とは大聖人様の教えの意義(内容)を正しく理解し、信仰を深めるために真理を学ぶことを言います。
 いずれも師弟相対の信心によって、指導教師である御住職・御主管の御指導のもと、励んでいかなければなりません。
 この信行学を具体的に実践するために、日蓮正宗においては「年間方針」及び「年間実戦テーマ」が定められています。

年間方針・実戦テーマに沿って
 本年(令和五年)は「折状躍動の年」との年間方針のもとに、次の年間実践テーマ三項目が定められました。
(一) 勤行・唱題の徹底で活動の充実
(二) 破邪顕正の折状で誓願達成
(三) 寺院参詣と登山推進で人材育成
 この三項目をテーマとして、御住職・御主管の御指導のもとに、各支部において信行学が展開されています。各自このテーマに沿って、信心修行に励むことが出来ているかどうか、改めて総点検をしましょう。
 「大白法」では、新年号において紙上座談会として、このテーマについて掲載しています。今一度、目を通してみることも大事なことです。

自行と化他行の実践
 そもそも日蓮正宗の信心の目的は、自分自身の幸福な境界を築き上げると共に真の平和社会を実現するところにあります。すなわち、一人ひとりの成仏と広宣流布を目的としているのです。
 したがって折状行に挺身することをけっして忘れてはならないのです。
 御法主上人猊下は、
「自行化他にわたる信心こそ肝要であります。自行だけの信心は像法過寺の題目であります。せっかく唱題によって積んだ功徳と歓喜を己れだけのものとせず、一天四海広宣流布達成のため、折状を行じてこそ、大聖人の御意にかなった信心と言えるのであります」(大白法 七五九号)
と仰せられています。
 そこで、日蓮正宗の信心修行の実践(信行学)は、自行と化他行にわたることを確認いたしましょう。
 大聖人様は「三大秘法抄」に、
「末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(御書 一五九四㌻)
とあり、「御義口伝」には、
「御義口伝に云はく、勧とは化他、持とは自行なり。南無妙法蓮華経は自行化他に亘るなり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経を進めて持たしむるなり」(同 一七六〇㌻)
と仰せです。
 さらに、総本山第二十六世日寛上人は「観心本尊抄文段」に、
「自行若し満つれば必ず化他有り。化他は即ち是れ慈悲なり」(御書文段 二一九㌻)
と御指南されています。
 自行とは自身の成仏のために行ずる勤行・唱題などのことをいいます。
 また、化他行とは他の人を教化・化導する(折状や育成を通して信心を勧めていく)ことをいいます。
 どちらをも行じていくことが大聖人様の教えなのですが、「折状が苦手です」という方、中には反対に、「唱題が苦手ですが折状は得意です」という方もおられます。いずれも、「自行化他にわたる」信行の実践とはいえません。
 すなわち、自ら妙法を受持信行し、他の人に妙法の実践を勧め受持せしめる。そうして受持した方も他の人に妙法を勧めるという姿が自行化他にわたるということになります。したがって、自行にとどまらず化他行、特に折状こそ信心の発露ととらえて「信心とは折状なり」と行じ切ることが、真の修行と言えるのです。

歓喜の折状行
 この折状による喜びは、たいへん尊く有り難いものです。
 大聖人様は「諌暁八幡抄」に、
「只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり。此即ち母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり」(御書 一五三九㌻)
と、末法の御本仏としての大慈大悲の御振舞いを、忍難弘通の折状をもって教示されました。この御姿に連なっての折状実践が大事であり、慈悲をもっての折状であればこそ、誠の歓喜を感じられるのです。
 例えば、折状対象者を入信に導けるように祈る喜び、折状対象者宅を訪問する予定を立てようと地図を広げたり、折状に出かける際にパンフレットなど資料を手に取り「さあ今日も仏道修行に励める」という喜び、こうした喜びを感じたことがあると思います。
 これは、折状したときの感動、功徳を皆さんが知っているからです。
 また創価学会員に対する折状はいかがでしょうか。
 一生懸命、創価学会の破折をして、退会して法華講に入講する決意をしてくれた時の喜びは、何とも言えないものです。この方が、御授戒もしくは勧誡を受けて、共に信仰に励めるかと思うと、有り難いという気持ちが出てきます。「ニセ本尊」を払う姿、退会届や誓約書さらには御授戒・勧誡願いの用紙を書く姿を見つめているだけで、歓喜を覚えます。
 また、御受戒・勧誡の前に視聴するするビデオを見ている時、特に「他宗教の信仰をしない」という部分をうなずいてみてくださっている姿には、「本当に謗法から救うことができてよかった」と、嬉しくなります。
 ひと通りの手続きを終えた後、いよいよ御授戒・勧誡が行われて、講中の方々から「おめでとうございます」という言葉が新入信者に送られている姿に、紹介者として感慨無量ではないでしょうか。その後、共に勤行や御報恩御講参詣に励む日々においても、さらに喜びと感動があふれてくるものです。
 広宣流布へ向かっての道程は困難が必ず伴いますが、指導教師の御指導のもと、異体同心を心掛けて化他行の醍醐味を忘れずに、明るく力強く、正直に前進してまいりましょう。
 そして、本年の折状誓願目標を共々に達成いたしましょう。

(大白法 令和5年9月1日 第1108号 転載)