(平成二十七年八月二日 於総本山客殿)

 皆さん、おはようございます。

本日は、八月度の広布唱題会に当たり、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。

さて、今、全国の法華講は、新たなる目標である平成三十三年・法華講員八十万人体勢構築へ向けて、僧俗一致の体勢をもって勇躍前進しております。

誓願の達成は、我らに与えられた尊い使命であり、我らはなんとしてでも誓願を達成しなければなりません。

されば、我々は、一人ひとりが誓願達成の強い意志と異体同心の団結と果敢なる行動をもって、ますます信心強盛に折伏に励んでいくことが肝要であります。

さて、大聖人様は『南条兵衛七郎殿御書』に、
「善なれども大善をやぶる小善は悪道に堕つるなるべし」(御書 三二三頁)
と仰せられています。

すなわち、自分だけの幸せを求める考えは、たとえそれが善であったとしても、結局、その善は「大善をやぶる小善」にして、「悪道に堕つる」ことになると仰せられているのであります。つまり、自分だけの幸せを追い求める利己的な姿勢、いわゆる「大善をやぶる小善」こそ、実は仏が最も嫌った姿勢であります。

爾前経において、二乗が永不成仏、すなわち永遠に成仏することができないと言われたことも、ここに起因するのであります。

しかれば、大善とは何か。ひとことで言えば、それはすべての人を正しい真実の道に導き、間違った教えや考えによって自分だけの幸せを求めている人達、あるいは間違った謗法の教えによって知らず知らずのうちに貪瞋癡の三毒にむしばまれ、塗炭の苦しみに喘いでいる多くの不幸な人々を救うことであります。

そもそも、人を不幸に陥れる、その根本原因は何かと言えば、それはすべて謗法の害毒にあることをよくよく知らなければなりません。

法華経譬喩品第三には、
「若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば 則ち一切 世間の仏種を断ぜん」(法華経 一七五頁)
と仰せであります。

「此の経」とは、今時末法から拝せば、本因下種の南無妙法蓮華経を毀謗、つまり謗れば「一切世間の仏種を断ぜん」すなわち、成仏の種子を断ずることになると仰せられているのであります。

また『顕謗法抄』には、
「問うて云はく、五逆罪より外の罪によりて無間地獄に堕ちんことあるべしや。答へて云はく、誹謗正法の重罪なり。問うて云はく、証文如何。答へて云はく、法華経第二に云はく『若し人信ぜずして此の経を毀謗せば乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん』等云云」(御書 二七九頁)
と仰せであります。

謗法の罪は五逆罪、すなわち父を殺し、母を殺し、阿羅漢を殺し、仏身より血を出だし、和合僧を破るの五逆罪よりも重く、阿鼻地獄に堕ちることは必定であると仰せられているのであります。

さらに『十法界明因果抄』には、
「慳貪・偸盗等の罪に依って餓鬼道に堕することは世人知り易し。慳貪等無き諸の善人も謗法に依り亦謗法の人に親近し自然にその義を信ずるに依って餓鬼道に堕することは、智者に非ざれば之を知らず。能く能く恐るべきか」(御書 二〇八頁)
と仰せであります。ここでは、たとえ慳貪等の罪がなくとも、謗法によって、また謗法の人に親近すれば餓鬼道に堕ちると仰せであります。

さらにまた『善無畏抄』には、
「設ひ八万聖教を読み大地微塵の塔婆を立て、大小乗の戒行を尽くし、十方世界の衆生を一子の如くに為すとも、法華経謗法の罪はきゆべからず。我等過去現在未来の三世の間に仏に成らずして六道の苦を受くるは偏に法華経誹謗の罪なるべし」(御書 五〇九頁)
と、普段はお経を読み、塔婆を立て、型通りの信心をしていても、法華経誹謗の罪は、過去・現在・未来の三世わたって長くあとを引き、その罪はまことに深いと仰せであります。

さらに『曽谷殿御返事』には、
「謗法を責めずして成仏を願はば、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなしはかなし。何に法華経を信じ給ふとも、謗法あらば必ず地獄におつべし。うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し」(御書 一〇四〇頁)
と仰せであります。

大聖人様はここでも、いかに法華経を信じていたとしても、もし謗法があれば必ず地獄に堕ちると、厳しく御教示あそばされているのであります。この御制誠を、我々は身に染みてよく知るべきであります。

謗法の恐ろしさについては、このほかの経典、御書にも数多く説かれており、謗法に対して我々は重々、気をつけていかなければならないのであります。

したがって、いかに謗法を対治し、過去遠々劫からの罪障を消滅して、自分自身の確固たる信心を築いていくか、ここが一生成仏にとって最も大事なところとなるのであります。

不幸の根源となる謗法を対治するためには、まず第一に大御本尊様への微動だにもしない、確固不抜の絶対的確信を持つことであります。その大御本尊様への絶対信のもとに、謗法厳誡の宗是を堅く守り、自行化他の信心に励むところ、必ず転迷開悟の大功徳を享受することができるのであります。

大聖人様は『御講聞書』に、
「今末法は南無妙法蓮華経の七字を弘めて利生得益有るべき時なり。されば此の題目には余事を交へば僻事なるべし。此の妙法の大曼荼羅を身に持ち心に念じ口に唱へ奉るべき時なり」(御書 一八一八頁)
と仰せであります。

されば、各位にはこの御金言を拝し、謗法を破折して、一意専心、妙法広布に我が身を捧げ、強盛に信心に励む時、おのずと我らの成仏がかなうものであることを覚知され、いよいよ信心に励まれますよう心から念じ、本日の挨拶といたします。

大白法 平成27年8月16日刊(第915号)より転載