(平成二十七年五月三日 於総本山客殿)

 本日は、五月度の広布唱題会に当たり、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。

既に御承知の通り、先に宗門は、第二祖日興上人御生誕七百七十年を迎えるに当たり、法華講員五〇パーセント増の誓願を達成し、奉祝大法要、奉祝記念法要ならびに達成記念大会、さらに海外信徒による奉祝記念法要ならびに達成記念大会を盛大に執り行い、一連の奉祝行事をすべて奉修することができました。

これもひとえに、国内外を含め、各講中の皆様方の御尽力によるものであり、皆様方に対し、心から厚く御礼申し上げるものであります。まことに有り難うございました。

さて、皆様には既に御承知の通り、宗門は新たなる目標である、来たるべき平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人の体勢構築へ向かって、勇躍として出陣いたしました。

法華講員八十万人の体勢構築は、私どもがなんとしてでも達成しなければならない大事な目標であります。そのためには、一人ひとりが折伏実践の大事を認識し、講中挙げて折伏に取り組んでいくことが肝要であります。

大聖人様は『一念三千法門』に、

(およ)()の経は悪人・女人・二乗・闡提(せんだい)(えら)ばず。故に皆成(かいじょう)仏道とも云ひ、又平等(びょうどう)大慧(だいえ)とも云ふ。善悪不二(ふに)・邪正一如と聞く(ところ)にやがて内証成仏す。故に即身成仏と申し、一生に証得(しょうとく)するが故に一生妙覚(みょうがく)と云ふ。義を知らざる大なれども唱ふれば(ただ)仏と仏と悦び給ふ。『我即歓喜諸仏亦然(やくねん)』云云」(御書 一一〇頁)

と仰せられております。

この御文は、法華経が爾前諸経と比べて、いかに(すぐ)れているかを示されているものであります。つまり、法華経が爾前諸経と異なり、勝れているところは、爾前諸経では成仏することができないと嫌われてきた悪人も女人も、二乗も一闡提人(いっせんだいにん)も、皆ことごとく成仏することができると説かれていることであります。それ故、法華経を「皆成仏道」とも「平等大慧」とも言うのであると仰せられているのであります。

「皆成仏道」とは「(みな)仏道を成ず」と読み、法華経を信受した衆生はすべて成仏することができるということであります。

「平等大慧」とは、法華経見宝塔品に説かれており、平等の理を悟り、一切衆生を平等に利益する仏の智慧を言うのであります。

次に「善悪不二・邪正一如と聞く処にやがて内証成仏す。故に即身成仏と申し、一生に証得するが故に一生妙覚と云ふ」と仰せでありますが、「善悪不二」とは、善と悪とが一体不二の関係にあることで、すべての事物・事象は一念三千の当体であり、善と悪との両面を具えているのであります。すなわち、善悪一如と同義であります。

「邪正一如」とは、邪と正は一つの心から生まれるもので、法華経に十界互具と説かれるように、衆生は悪と善を共に具え、不二一体であることを言います。よって、爾前の諸経では成仏できなかった二乗、悪人、女人が、十界互具一念三千を説く法華経に至って、成仏を許され、平等大慧の法が確立したことを示しているのであります。

「内証成仏」とは、内証は内心の悟りの意で、衆生が心のうちに真理を悟り成仏することで、即身成仏と同義であります。

「一生妙覚」とは、一生入妙覚の略で、一生の間に妙覚、すなわち仏の位に入ることで、一生成仏と同義であります。日蓮大聖人様の仏法におきましては、皆、久遠元初の妙法を覚知して成仏に至り、一生のうちに妙覚位に入ることができることを仰せられているのであります。

次に「義を知らざる人なれども唱ふれば唯仏と仏と悦び給ふ。『我即歓喜諸仏亦然』云云」と仰せでありますが、妙法蓮華経について、たとえ深い意義内容は解らなくとも、南無妙法蓮華経と唱えれば「我即歓喜諸仏亦然」すなわち、釈尊も三世十方の諸仏も歓喜すると仰せられているのであります。

大聖人様は、この見宝塔品の「我即歓喜諸仏亦然」の御文について、『御義口伝』に、

「我とは心王(しんのう)なり、諸仏とは心数(しんじゅ)なり。法華経を持ち奉る時は心王・心数同時に歓喜するなり。又云はく、我とは凡夫なり、諸仏とは三世諸仏なり。今日蓮等の(たぐい)南無妙法蓮華経と唱へて歓喜する是なり云云」(同 一七五五頁)

と仰せであります。

「我即歓喜」の「我」とは心王、すなわち心それ自体であります。「諸仏」とは心数、すなわち心の作用・(はたら)きのことであります。「法華経」とは文底より拝せば三大秘法の南無妙法蓮華経のことで、この妙法蓮華経を持ち奉る時は、心王も心数も同時に歓喜するとの仰せであります。

また「我とは凡夫なり」と仰せの「我」とは、

「末法の仏とは凡夫なり、凡夫僧なり」(同 一七七九頁)

と仰せのように、別して言えば、御本仏大聖人様御自身のことであります。つまり、大聖人ならびに弟子檀那等が南無妙法蓮華経と唱えて歓喜すれば、諸仏もまた歓喜すると仰せられているのであります。すなわち、この御文の意は、私どもの一生成仏のためには妙法の受持口唱(くしょう)こそ、肝要であるとお示しあそばされているのであります。

しかれば、私ども一同、宗祖日蓮大聖人様を末法の御本仏と仰ぎ奉り、その御魂魄(こんぱく)たる本門戒壇の大御本尊に対し奉り、至心に題目を唱え、自行化他の行業に励むことこそ、今、最も肝要であろうと存じます。

なかんずく、今、宗門は来たるべき平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築へ向かって、勇躍前進を開始いたしました。

この時に当たり、我らはただいま拝読申し上げた御文を拝し、一切衆生救済の秘法は、ただ三大秘法の妙法蓮華経以外にはないことを銘記し、一人でも多くの人にこの妙法を下種し、折伏していかなければならないと思います。特に、昨今の混沌(こんとん)とした国内外の世情を見る時、その感を深くするものであります。おそらく、皆様も御同様と思います。

されば、皆様には、いよいよ信心強盛(ごうじょう)に題目を唱え、その功徳と歓喜をもって折伏に打って出て、誓願を必ず達成されますよう心から念じ、本日の挨拶といたします。

大白法 平成27年5月16日刊(第909号)より転載