本日は、四月度の広布唱題会に当たり、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。

さて、宗門は先般、第二祖日興上人御生誕七百七十年、法華講員五〇パーセント増の誓願を達成し、まず奉祝大法要をめでたく奉修し、続いて奉祝記念法要ならびに達成記念大会を盛大に奉修することができました。

これもひとえに、全国の法華講支部の指導教師ならびに講員の皆様方が、異体同心・一致団結して誓願達成を目指し、日夜を(いと)わず、真剣に折伏に励んでこられた結果であり、皆様方の御奮闘に心から敬意を表すとともに、この勝利の感動と喜びをもって、いよいよ次なる目標である、平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築へ向けて、全力を傾注して御精進いただきたいと念願します。

申すまでもなく、今、末法は、折伏をもって正規とすることは既に諸御書において明らかであります。

されば『聖愚問答抄』には、

「今の世は濁世(じょくせ)なり、人の情もひがみゆがんで権教謗法のみ多ければ正法弘まりがたし。此の時は読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり。(ただ)折伏を行じて力あらは威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり。取捨()(むね)を得て一向に(しゅう)する事なかれと書けり。今の世を見るに正法一純に弘まる国か、邪法の興盛(こうじょう)する国か(かんが)ふべし」(御書 四〇三頁)

と仰せであります。

さらに『曽谷殿御返事』には、

「涅槃経に云はく『()し善比丘あって法を(やぶ)る者を見て、置いて呵責(かしゃく)駈遣(くけん)挙処(こしょ)せずんば、(まさ)に知るべし、是の人は仏法の中の(あだ)なり。若し()く駈遣し呵責し挙処せば、(これ)我が弟子、真の声聞なり』云云。此の文の中に見壊(けんね)法者(ほうしゃ)(けん)と、置不(ちふ)呵責(かしゃく)()とを、()く能く心腑(しんぷ)に染むべきなり。法華経の敵を見ながら置いてせめずんば、師檀ともに無間地獄は疑ひなかるべし。南岳大師の云はく『(もろもろ)の悪人と(とも)に地獄に()ちん』云云。謗法(ほうぼう)を責めずして成仏を願はゞ、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなしはかなし」(同 一〇三九頁)

と仰せであります。

なかんずく「法華経の敵を見ながら置いてせめずんば、師檀ともに無間地獄は疑ひなかるべし」との御文、さらに「謗法を責めずして成仏を願はゞ、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなしはかなし」との御文を肝に銘じて、一生成仏を決定する仏道修行にとって、いかに折伏が大事であるかを知らなければなりません。

その折伏に際して肝要なることは、臆病(おくびょう)であってはならないということであります。

大聖人は『教行証御書』に、

「日蓮が弟子等は臆病にては(かな)ふべからず。彼々の経々と法華経と勝劣・浅深・成仏不成仏を判ぜん時、爾前迹門の釈尊なりとも物の数ならず。(いか)(いわ)んや其の以下の等覚の菩薩をや。まして権宗(ごんしゅう)の者どもをや。法華経と申す大梵王の位にて、民とも(くだ)し鬼畜なんどと下しても、其の(あやま)ち有らんやと意得(こころえ)て宗論すべし」(同 一一〇九頁)

と仰せであります。

臆病を克服する秘訣(ひけつ)は、唱題であります。題目を唱え、自らの命に何ものにも恐れない断固たる決意をみなぎらせ、折伏に打って出ることが大事なのであります。

どうぞ皆様方には、この御文を肝に銘じ、いよいよ法華講員八十万人体勢構築へ向けて、勇躍出陣されますよう心からお願いし、本日の挨拶といたします。

大白法 平成27年4月16日刊(第907号)より転載