御隠尊日顕上人猊下

宗旨建立七百六十三年の光輝に包まれた新春、明けましてお目出度うございます。

御法主日如上人猊下には常に御健勝であらせられ、宗内僧俗に尊い御慈教を賜る事は、野納(やのう)を始め宗内一同の無上の喜びとする処であります。
また法華講連合会委員長・永井藤蔵氏外全国の法華講員各位には、心身共に絶大な本門の題目の功徳を享受(きょうじゅ)されつゝ、めでたく此の新年を迎えられた事と存じます。

本年はいよいよ二祖日興上人の御生誕七百七十年の慶事を迎えます。此の御報恩の為、宗内僧俗各位には自行化他の精進を重ねてこられました。此の慶事に対し、二祖日興上人には(じょう)(じゃっ)(こう)()より御高覧あそばされ、大法興隆と信徒各位の信行増進をお護り下さる事と拝察いたします。

日興上人の広大な御徳は筆舌に尽くし得ませんが、下種仏法をその根本より正しく受け給い、()つ縦横に発揚された事は云う(まで)もありません。六老僧及び數多(あまた)の弟子の中で、日興上人が唯一人おわしました事により、末法万年の正法広布の源が確立されたのであります。則ち日興上人の甚深の領解とその御振舞を通して、始めて、日蓮大聖人の高大な仏法の真実を拝し得られたのです。日興上人の卓越された法門の領解は師の教えのすべてを、清らかに秀徹された信心を以て、鏡のように写し取られたからに外なりません。

大聖人の仏法が天台と異なり、前代未聞の五重の深義を経た本門寿量文底下種の法体であることにより、日興上人以外の弟子の多くが理解できませんでした。『三大秘法抄』の、

「予年来(としごろ)己心に秘すと雖も此の法門を書き付けて留め置かずんば、門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言(ざんげん)を加ふべし云云」(御書 一五九五頁)

の文が、明白に当時の状相示します。

理屈や理論でなく、師弟相対の仏法伝承こそ、万代に渉る正法流布の肝要であります。

吾等本宗の僧俗は、有り難くも富士の清流に浴し、過去遠々劫以来の罪障を消滅し、即身成仏の本懐を身に受ける事が出来るのは、(ひとえ)に日興上人の御慈教に依ります。

此の御生誕七百七十年に大歓喜を以て、心より御報恩の行事に参加し奉りましょう。

法華講連合会皆様の益々の信行倍増と御健康を祈り、一言新年の辞と致します。