二月度 広布唱題会の砌
(令和六年二月四日 於 総本山客殿)
本日は、宗祖日蓮大聖人御聖誕の月、二月度の広布唱題会に当たり、皆様方には諸事御繁忙のところ、信心強盛に出席され、まことに御苦労さまでございます。
さて『観心本尊抄』を拝しますと、
「此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし。月支・震旦に未だ此の本尊有さず」(御書 六六一㌻)
と仰せであります。
この御文は、皆様もよく御存じのことと思いますが、この御文のなかで「地涌千界」と仰せられ、また「本門の釈尊を脇士と為す」仏様とは、一体いかなる仏様であられるのかと申せば、「本門の釈尊を脇士と為す」とのお言葉から拝して、それは本果脱益の釈尊ではないことは明らかであります。
つまり、ここで大聖人様が「地涌千界」と仰せられた仏様とは、久遠元初の妙法を御所持あそばされる人即法、法即人の仏様、すなわち内証久遠元初の御本仏、末法御出現の宗祖日蓮大聖人様御自身のことであります。
したがって、久遠元初の御本仏がこの末法に御出現されて御建立あそばされる御本尊なるが故に、まさしく「一閻浮提第一の本尊」なのであります。
されば『本因妙抄』には、
「仏は熟脱の教主、某は下種の法主なり(中略)理即但妄の凡夫の為の観心は、余行に渡らざる南無妙法蓮華経是なり」(同 一六八〇㌻)
と仰せられ、宗祖日蓮大聖人様こそ、まさしく末法下種の御本仏にして、唱えあそばされた妙法蓮華経は久遠元初の本法にして、末法の一切衆生にとって成仏得道のための唯一最善の妙法であることを明かされているのであります。
故に今、私どもは、一人ひとりが宗祖日蓮大聖人様を末法の御本仏と仰ぎ奉り、大聖人様が宗旨をもって御建立あそばされた本因下種の妙法を至心に唱え、妙法広布へ向けて果敢に自行化他の信心に励んでいくことが、一生成仏にとって最も肝要となるのであります。
さらに『諸法実相抄』には、
「いかにも今度信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給ふべし。日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか(中略)末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり。日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり。未来も又しかるべし。是あに地涌の義に非ずや。剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」
(同 六六六㌻)
と仰せられ、末法に妙法を受持信行する日蓮大聖人様の門下が地涌の菩薩の眷属であることを明かされているのであります。
されば、末法の御本仏宗祖日蓮大聖人御聖誕の月に当たり、私ども一同、一天四海・皆帰妙法を目指して、総力を結集して勇猛果敢に折伏を行じ、もって自行化他の信心に励んでいくことが、一生成仏にとっていかに大事であるかを深く心に刻み、講中一結・異体同心の団結をもって、いよいよ精励されますよう心よりお祈り申し上げ、一言もって本日の挨拶といたします。
(大白法 令和6年2月16日 第1119号転載)