令和6年12月度 広布唱題会の砌

 本日は、本年度最終の広布唱題会に当たりまして、皆様には年末、何かと御繁忙のところ出席され、まことに御苦労さまでございます。
 さて、皆様には既に御承知の通り、今、世間では国内外ともに末法濁悪の世相そのままに騒然とした様相を呈しておりますが、かくなる時こそ、私どもは『立正安国論』の御聖意を拝し、一天広布を目指して講中一結・異体同心し、総力を結集して折伏を行じていかなければならないと思います。
 そもそも、衆生教化の方途には、摂受と折伏の二種があることは既に皆様方には御存じのことと思いますが、折伏とは相手の悪を指摘し屈服させて、正しい道に導き入れる方法であります。摂受とは相手の善を受け入れ、摂(おさ)め取って、徐々に浅きから深きへと導いていく方法であります。
 この両義について、大聖人様は『開目抄』のなかで、
「無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前とす、安楽行品のごとし。邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす、常不軽品のごとし」(御書575)
と仰せられております。
 すなわち「邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす」と仰せのように、末法の今は邪智・謗法の者が多き時でありますから、この時は摂受ではなく、折伏を用いよと仰せられているのであります。
 されば『唱法華題目抄』には、
「末代には善無き者は多く善有る者は少なし。故に悪道に堕(だ)せん事疑ひ無し。同じくは法華経を強ひて説き聞かせて毒鼓(どっく)の縁と成すべきか。然れば法華経を説いて謗縁(ぼうえん)を結ぶべき時節なる事諍(あらそ)ひ無き者をや」(御書231)
と仰せられております。
 「毒鼓の縁」とは、既に皆様方には御承知の通り、涅槃経に説かれている話で、毒薬を塗った太鼓を大衆のなかにおいてたたけば、その音を聞く者すべてが死ぬと言われております。これは仏法の話を聞く者は、例えば法を聞いてその時は反対したとしても、正しい法を耳にしたことが縁となって、やがて煩悩を断じて得道できることを、毒を塗った太鼓を打つことに譬えているのであります。
 また『立正安国論』には、
「嗟呼(ああ)悲しいかな如来誠諦(じょうたい)の禁言(きんげん)に背くこと。哀れなるかな愚侶(ぐりょ)迷惑の麁語(そご)に随ふこと。早く天下の静謐(せいひつ)を思はゞ須(すべから)く国中の謗法を断(た)つべし」(御書247)
と仰せあそばされております。
 さらに、また『持妙法華問答抄』には、
「願はくは『現世安穏後生善処(げんぜあんのんごしょうぜんしょ)』の妙法を持つのみこそ、只今生の名聞後生の弄引(ろういん)なるべけれ。須(すべから)く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧(すす)めんのみこそ、今生人界の思出なるべき」(御書300)
と仰せであります。
 これらの御文を拝し、また今日の世情騒然とした日本ならびに世界の様相を見る時、まさに今こそ、私どもは心を一つに講中一結・異体同心して、一人ひとりの幸せはもとより、すべての人々の幸せと仏国土実現を目指し、全力を傾注して折伏を行じていくことが、最も大切なことであることをしっかりと銘記され、力強く前進されますよう心から願うものであります。
 本年も残りあと一月となりました。一年を締めくくる、この一ヶ月間の戦いが明年に引き継がれ、未来広布へ続く導火線となっていくのでありますから、それぞれの講中においては、いよいよ異体同心・一致団結して、お互いが声を掛け合い、励まし合い、御宝前に誓った本年度の折伏誓願は何があっても必ず達成されますよう心から願い、本日の挨拶といたします。

(大白法 令和6年12月16日 第1139号転載)

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