本日は、九月度の広布唱題会に当たり、皆様方には諸事万端御繁忙のところを信心強盛に出席され、まことに御苦労さまです。

 皆様方には既に御承知の通り、今、新型コロナウイルス感染症が猛威を振るい、日本をはじめ世界中が騒然とした状況を呈しております。しかし、かくなる時こそ、私どもは真剣に題目を唱え、異体同心・一致団結して病魔を打ち払い、折伏を行じ、妙法流布に邁進していかなければなりません。

大聖人様は『南条兵衛七郎殿御書』に、
「いかなる大善をつくり、法華経を千万部書写し、一念三千の観道を得たる人なりとも、法華経のかたきをだにもせめざれば得道ありがたし。たとへば朝につかふる人の十年二十年の奉公あれども、君の敵をしりながら奏しもせず、私にもあだまずば、奉公皆うせて還ってとがに行なはれんが如し。当世の人々は謗法の者としろしめすべし」(御書 三二二㌻)
と仰せであります。

 「いかなる大善」すなわち、この上ない善行、勝れた善根・功徳を積んだ者であったとしても、また法華経を千万部も読み、書写し、一念三千の観心の法門を会得した人であっても「法華経のかたき」すなわち、邪義邪宗の謗法を破折しなければ、折伏をしなければ、成仏得道することはできない。それは例えば、朝廷に仕えている人が、十年、二十年と長年にわたって勤めてきたとしても、主君に敵対する者がいることを知りながら、主君にも知らせず、また私にも恨みに思わず、そのまま放置していたとすれば、せっかく積んだ長年の奉公の功績も皆、消えてしまい、かえって怠慢の者として罪に問われるようなものである。されば今、末法濁悪の当世の多くの人々は謗法の者と知り、折伏を行じていかなければならないと仰せられているのであります。

 よって『聖愚問答抄』には、
「今の世は濁世なり、人の情もひがみゆがんで権教謗法のみ多ければ正法弘まりがたし。比の時は読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり。只折伏を行じて力あらば威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり。取捨其の旨を得て一向に執する事なかれと書けり。今の世を見るに正法一純に弘まる国か、邪法の興盛する国か勘ふべし」(同 四〇三㌻)
と仰せられ、その濁劫悪世の姿そのままに五濁乱漫として権教謗法のみ多く、ために人心が乱れ、世情騒然とした状況を呈している今時末法においては、像法過時の読誦・書写の修行も、観念・工夫・修練も無用にして、ただ破邪顕正の折伏をもって謗法を砕き、法門をもっても邪義を破折することこそ肝要であると仰せられているのであります。

 されば『曽谷殿御返事』には、
「謗法を責めずして成仏を願はば、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなしばかなし。何に法華経を信じ給ふとも、謗法あらば必ず地獄にをつべし。うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し。『毒気深入、失本心故』とは是なり」(同 一〇四〇㌻)
と仰せられ、一生成仏を願う私どもの信心において、大聖人様の正しい信心を妨げる邪義邪宗の謗法を対治し、折伏することがいかに大事であるかを御教示あそばされているのであります。

 したがって、不幸の根源たる邪義邪宗の謗法を見ながら、知りながら、そのまま放置して責めもせず、折伏もせず、黙って見過ごすようなことがあれば、末法の御本仏宗祖日蓮大聖人の教えに背くことになり、成仏得道は思いも及ばないことになってしまう。それはあたかも、たくさんの漆のながに蟹の足一本を入れたようなものであると仰せられているのであります。

 特に今、世界中が新型コロナウイルス感染症によって騒然としている時、かくなる時こそ、私どもは不幸の根源たる邪義邪宗の謗法を破折し、一切衆生救済の秘法たる妙法の広大無辺なる功徳を一人でも多くの人々に説き、一意専心、折伏を行じていくことが、最も大事であることを一人ひとりがしっかりと心肝に染め、講中一結・異体同心して、敢然として折伏を行ぜられますよう心からお願い申し上げ、本日の挨拶といたします。


令和3年9月16日号(第1061号より転載)