本日は、十月度の広布唱題会に当たり、皆様には新型コロナウイルス感染症の全国的な蔓延によって、何かと御不便のところ、信心強盛に参加され、まことに御苦労様です。
 既に皆様も御承知の通り、今、世界では末法濁悪の世相そのままに、混沌とした様相を呈しており、いつ大きな戦争に発展しかねない危険な状態にありますが、まさにかくなる時こそ、私どもは改めて『立正安国論』の御聖意を拝し、真の世界平和と全人類の幸せを願い、一人でも多くの人々に本因下種の妙法を下種し、折伏を行じ、一天広布へ向けて、なお一層の努力をしていかなければならないと思います。
 されば、大聖人様は『如説修行抄』において、折伏について御教示あそばされておりますが、今、要約して申し上げますと、
「仏滅後、正像二千年は、小乗教・権大乗教の流布の時である。末法の始めの五百年には純円一実の法華経、すなわち法華経本門寿量品文底秘沈の南無妙法蓮華経が広宣流布する時である。この時は闘諍堅固・白法隠没の時と定めて、権実雑乱の時である。よって、敵ある時は刀杖弓箭を持つべきである。敵なき時は刀杖弓箭は無用である。今の時は権教即実教の敵となり、一乗流布の代の時は権教が実教の敵となるのである。このような紛らわしい時には、実教よりこれを責めるべきである。これを摂折の修行のなかには『法華折伏』と申すのである。天台大師は『法華折伏破権門理(法華は折伏して権門の理を破す)』と仰せである。しかるに、摂受たる四安楽の修行を末法の今の時に行ずるならば、それはまさに冬に種子をまいて益を求めるようなものである。鶏が暁に鳴くような当たり前のことであるが、宵に鳴くのは物怪である。末法今日の如き、権実雑乱の時は法華経の敵、すなわち謗法を責めずして、山林に閉じ篭もって摂受の修行をするのは、法華経修行の時を失う物怪である。されば、末法今の時、法華経の折伏の修行を、だれか経文の如く行じておられるか。だれ人でもあれ、諸経は無得道、堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと、音も惜しまず呼ばわり給いて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ」(御書672取意)
と仰せであります。
 すなわち、法華経本門寿量品文底秘沈の南無妙法蓮華経は、過去・現在・未来の三世の闇を照らす最高至善の偉大なる光明であります。
 されば、その妙法を受持信行することによって、十界互具する我が生命に内在する仏界が、大御本尊様の絶対の仏界と境智冥合して成仏に至るのであります。
 よって、私ども一人ひとりが大御本尊様への絶対の信を持って題目を唱え、その功徳と歓喜をもって妙法を説き、一天広布の達成へ向けて前進する、これこそが即身成仏の要諦であります。
 第二祖日興上人は『遺誡置文』のなかにおいて、
「未だ広宣流布せざる間身命を捨てゝ随力弘通を致すべき事」(御書1884)
と仰せであります。
 まさしく、折伏は御本仏宗祖日蓮大聖人様からの御遺命であります。よって、私どもは何を差し置いても、大聖人様の御遺命のままに破邪顕正の折伏を行じて、一人でも多くの人々の幸せを願い、悔いなく戦いきっていくことが今、最も肝要なのであります。
 されば今、一人ひとりが決意を新たに、妙法広布へ向けて力強く前進していくことが最も肝要であることを自覚し、全国すべての法華講中が僧俗一致・異体同心して、一天広布の達成を目指して精進され、もって自他共の成仏を果たされますよう心からお祈りし、一言もって本日の挨拶といたします。

(大白法 令和6年10月16日 第1135号転載)