本日は、四月度の広布唱題会に当たりまして、皆様には御繁忙のところ、時間を割き参加され、まことに御苦労さまでございます。
 さて、既に皆様も御承知の通り、今、日本を含め世界中が末法濁悪の世相そのままに、新型コロナウイルス感染症によって様々な障害をもたらし、またウクライナにおいては悲惨な戦争が勃発し、騒然とした様相を呈しています。かくなる時こそ、私どもは真の世界平和を目指し、記念局の本年度のポスターに「今こそ折伏の時」と記された標語のもとに僧俗一致・異体同心し、全力を傾注して折伏を行じていかなければならないと思います。
 大聖人様は『持妙法華問答抄』に、
「寂光の都ならずば、何くも皆苦なるべし。本覚の栖を離れて何事か楽しみなるべき。願はくは『現世安穏後生善処』の妙法を持つのみこそ、只今生の名聞後世の弄引なるべけれ。須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧めんのみこそ、今生人界の思出なるべき」(御書 三〇〇㌻)
と仰せであります。
 まさしく、今日の混沌とした状況を見る時、この難局を乗り越えていくためには、一人でも多くの人が末法の御本仏宗祖日蓮大聖人の仏法に帰依し、もって妙法信受の功徳を体現していくことが肝要であります。
 そのために私どもは、講中一同が身軽法重・死身弘法の御聖訓を拝し、志を一つにして立ち上がり、異体同心して折伏を行じ、妙法広布への道を切り開いていくことが、必要不可欠であります。
 混沌とした末法今日の世の中を救えるのは、唯一、末法の御本仏宗祖日蓮大聖人の仏法以外にないことは、本宗僧俗であれば、だれもが知っていることであります。
 しかしながら、知っているだけでは理の信心であって、自行化他の信心からいえば、片寄った信心となり、大聖人様の御意にかなう信心とは言えません。
 つまり、信心とは実践であり、観念だけでは成仏いたしません。特に、自行化他の信心において折伏を忘れた信心は、大聖人様の御正意にかなう信心とは言えません。
 されば『百六箇抄』には、
「法自づから弘まらず、人、法を弘むるが故に人法ともに尊し」(同 一六八七㌻)
と仰せであります。
 私どもは、謗法の害毒によって苦悩に喘ぐ多くの人々に謗法の恐ろしさを教え、正しい大聖人様の仏法によらなければ真の幸せを築くことができないことを、一人でも多くの人に伝えていかなければならない大事な使命があることを忘れてはなりません。
 大聖人様は『法華初心成仏抄』に、
「元より末法の世には、無智の人に機に叶ひ叶はざるを顧みず、但強ひて法華経の五字の名号を説いて持たすべきなり」(同 一三一五㌻)
と仰せであります。
 すなわち、折伏はたとえ相手がいかなる境界の人であろうが、またいかなる障魔が競い起きようが、広大無辺なる大御本尊様への絶対の確信のもと、慈悲と忍辱と「一心欲見仏 不自惜身命」の決意を持って、勇躍として折伏を行じていくことが肝要であります。
 また『持妙法華問答抄』には、
「持つ処の御経の諸経に勝れてましませば、能く持つ人も亦諸人にまされり。爰を以て経に云はく『能く是の経を持つ者は一切衆生の中に於て亦為れ第一なり』と説き給へり。大聖の金言疑ひなし(中略)されば持たるゝ法だに第一ならば、持つ人随って第一なるべし」(同 二九七㌻)
と仰せであります。
 一閻浮提第一の御本尊を持つ者こそ、一切衆生のなかにおいて第一の者であると仰せられているのであります。一切衆生のなかにおいて第一の者であれば、折伏に当たっても、我らは断固たる確信を持って、勇躍として折伏を行じていくことが肝要であります。
 私どもの自信に満ちた、確信あるひと言が、相手の心を動かすのであります。
 されば、私どもには一閻浮提第一の本門戒壇の大御本尊様が在すことを心肝に染め、たとえいかなる障魔が惹起しようとも恐れることなく、一意専心、折伏に励むところに必ず大御本尊様の御照覧があることを確信し、講中一結・異体同心して折伏に励んでいくことが今、最も大事であります。
 どうぞ皆様には「今こそ折伏の時」と記された本年の標語を肝に銘じて、悔いなく戦いきり、もって広大なる仏恩に報い奉るよう心から念じ、本日の挨拶といたします。
(大白法 令和4年4月16日 第1075号 転載)