本日は、本年2月度の広布唱題会に当たりまして、皆様には諸事万端御繁忙のところ、また新型コロナウイルス感染症によって何かと不便のところ万難を排し、わざわざ出席され、まことに御苦労さまでございます。
 さて、既に皆様も御承知の通り、今月は宗祖日蓮大聖人御聖誕の月であります。
 大聖人様は、貞応元(1222)年2月16日、法華経において予証せられた通り、外用上行菩薩、内証久遠元初自受用身の御本仏として末法に御出現あそばされました。
 その目的は『御義口伝』に、
「妙法の大良薬を以て一切衆生の無明の大病を治せん事疑ひ無きなり」(御書 1732㌻)
と仰せのように、「妙法の良薬」すなわち、久遠元初の本法たる人即法・法即人の妙法蓮華経にして、人に約せば久遠元初自受用報身如来の再誕、末法御出現の御本仏宗祖日蓮大聖人であり、法に約せば久遠元初の妙法であります。この人法一箇の妙法をもって、末法本未有善の一切衆生を救済せんために御出現あそばされたのであります。
 しかるに、世の中の多くの人々は、謗法の害毒によって苦しみから逃れることができず、苦悩に喘いでいるのであります。その上、謗法によって人心が乱れ、さらに依正不二の原理によって、それがそのまま国土の乱れを招き、一国が無間大城に堕ちて苦しんでいるのであります。
 そもそも『立正安国論』の原理に従えば、世の中が乱れ、人々が不幸と混乱と苦悩に喘いでいる根本原因は、すべからく邪義邪宗の謗法の害毒にあり、この謗法の対治なくして人々の幸せも、世の中の平和も、国土の安穏も実現することはできないのであります。
 ここに今、私どもが決然として謗法を破折し、折伏を行じていく大事な理由が存しているのであります。
 されば『唱法華題目抄』には、
「末代には善無き者は多く善有る者は少なし。故に悪道に堕せん事疑ひ無し。同じくは法華経を強ひて説き聞かせて毒鼓の縁と成すべきか。然れば法華経を説いて謗縁を結ぶべき時節なる事諄ひ無き者をや」(同 231㌻)
と仰せられているのであります。
 「毒鼓の縁」とは、既に皆様も御承知の通り、涅槃経に説かれている話で、毒薬を太鼓に塗り、これを大衆のなかでたたくと、その音を聞く者すべてが死ぬと言われております。これは法を説くことによって、相手が聞こうが聞くまいが、その法を耳にしたことが縁となって得道できるという譬え話であります。
 したがって、折伏に当たっては、たとえ相手が反対したとしても諦めず、根気よく、諄々と法を説いていくことが肝要なのであります。
 よって『法華初心成仏抄』には、
「仏になる法華経を耳にふれぬれば、是を種として必ず仏になるなり。されば天台・妙楽も此の心を以て、強ひて法華経を説くべしとは釈し給へり。譬へば人の地に依りて倒れたる者の、返って地をおさへて起つが如し。地獄には堕つれども、疾く浮かんで仏になるなり。当世の人何となくとも法華経に背く失に依りて、地獄に堕ちん事疑ひなき故に、とてもかくても法華経を強ひて説き聞かすべし」(同 1316㌻)
と仰せられ、末法今時の本未有善の衆生に対しては、真心を込めて法華経、すなわち本因下種の妙法を、確信と断固たる決意を持って「とてもかくても」説いていくことが肝要なのであります。
 今、宗門は、各講中ともに折伏誓願達成へ向けて、僧俗一致・異体同心の団結をもって全力を傾注し、前進すべき大事な時を迎えております。
 されば、この時に当たりまして、すべての講中が一天広布を目指して一致団結し、身軽法重・死身弘法の御聖訓のままに、勇躍として大折伏戦を展開し、もって全支部が必ず本年度の折伏誓願を達成されますよう心から祈り、本日の挨拶といたします。
(大白法 令和5年2月16日 第1095号 転載)