令和7年 御霊宝虫払大法会の砌

 折伏について、大聖人様は『諸法実相抄』に、
「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつた(伝)ふるなり」(御書666)
と仰せられています。
 すなわち、広宣流布への道は、日蓮大聖人様のお振る舞いがそうであられたように、妙法蓮華経の五字を初めは自分一人から、二人、三人、百人と次第に伝えていくことであります。つまり「一人が一人の折伏」を私ども全員が実践するところに、広宣流布への道が大きく開かれてくるのであります。
 折伏は、一人ひとりと心を開いて対話し、大聖人様の正義を伝えていくことが肝要であります。また、折伏は最高の報恩行であることを知らなければなりません。
 私どもは、御本仏日蓮大聖人様の大慈大悲によって、御本尊様を持ち、またその功徳によって、煩悩と業に苦しむ我が身を永遠の悟りの仏身を開き、現当二世にわたって、真実の幸福境涯を成就する道を歩ませていただいています。(中略)
 折伏をするに当たって大切なことは、まず私ども自身が大御本尊様に対する絶対の確信を持って、しっかりと御題目を唱え、慈悲の心をもって折伏を行ずることであります。
 そもそも、この妙法はいかにしたら幸福になれるかということを明かされた、いわば人生の羅針盤と言うべきものであります。
 したがって、これに則っていけば必ず幸せになれますが、反対にこれに背く、すなわち積極的に反対する場合ばかりでなく、妙法を信じないという正法不信も、あらゆる不幸を引き起こす元となるのであります。
 また、逆の立場に立って言えば、折伏をしないのはいかなることか。大聖人様は『阿仏房尼御前御返事』に、
「云ひて罪のまぬがるべきを、見ながら聞きながら置いていまし(禁)めざる事、眼耳の二徳忽(たちま)ちに破れて大無慈悲なり。章安の云はく『慈無くして詐(いつわ)り親しむは即ち是(これ)彼が怨なり』等云云」(御書906)
と、折伏をしないことは無慈悲であると仰せであります。
 慈悲とは、相手の苦しみを取り除き、楽を与えることであります。したがって、どんなに仲の良い友人・知人がいたとしても、慈悲の心を持たないで、ただ表面的に仲良く付き合っていくことは、相手にとって怨にこそなれ、けっして為にはならないのであります。 また、法華経法師品には折伏の心得として衣座室の三軌が説かれております。衣座室の三軌とは、皆様には既に御承知の通り、いかなる悪口罵詈等の暴言や妨害にも屈することなく、忍の一字で、母の子を思うが如き慈悲の心を持って、相手の社会的地位や財産等にひるむことなく、また自分は如来の使いとして、慈悲を行じているのであるとの確信を持つことです。そして、全人格で折伏することであります。こちらが真剣であれば、相手もまた真剣になります。

(大白法 令和7年4月16日 第1147号 転載)

Follow me!