日時:
2019年8月15日 @ 10:00 – 11:00
2019-08-15T10:00:00+09:00
2019-08-15T11:00:00+09:00

盂蘭盆と申し候事は、仏の御弟子(みでし)の中に、目連(もくれん)尊者と申して舎利弗(しゃりほつ)にならびて智慧第一・神通(じんずう)第一と申して、須弥山に日月のならび、大王に左右(さう)の臣のごとくにをはせし人なり。此の人の父をば吉懺(きっせん)師士(しし)と申し、母をば青提女(しょうだいによ)と申す。其母の慳貪(けんどん)(とが)によて餓鬼道に堕ちて候しを、目連尊者のすくい給ふより事をこりて候。其因縁は母は餓鬼道に堕ちてなげき候ひけれども、目連は凡夫なれば知ることなし。幼少にして外道の家に入り、四井陀(しいだ)・十八大経と申す外道の一切経をならいつくせども、いまだ其の母の生処をしらず。其の後十三のとし、舎利弗とともに釈迦仏にまいりて御弟子となり、見惑をだんじて初果の聖人となり、修惑をだんじて阿羅漢となりて、三明をそなへ六通を()給へり。天眼をひらいて三千大千世界を明鏡のかげのごとく御らむありしかば、大地をみとをし三悪道を見る事、氷の下に候魚を朝日にむかいて我等がとおしみるがごとし。其中に餓鬼道と申すところに我が母あり。のむ事なし、(くらふ)ことなし。皮はきんてう(金鳥)をむしれるがごとく、骨はまろき石をならべたるがごとし。(かうべ)はまりのごとく、(くび)はいとのごとし。腹は大海のごとし。口をはり手を合せて物をこへる形は、うへたるひるの人のかをかげるがごとし。先生(せんじょう)の子をみてなかんとするすがた、うへたるかたち、たとへをとるに及ばず。いかんがかなしかりけん。(盂蘭盆御書 1993頁)