本日は、十月度の広布唱題会に当たり、皆様方には諸事御繁忙のところ出席され、まことに御苦労さまです。
 既に皆様も御承知の通り、今回、新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言は解除されたとは言え、いまだ予断を許さない状況が続いておりますが、私どもは、なお一層、講中一結・異体同心して題目を唱え、折伏を行じ、安穏なる仏国土実現を目指して、妙法流布に邁進していかなければならないと思います。
 大聖人様は『唱法華題目抄』に、
「末代には善無き者は多く善有る者は少なし。故に悪道に堕せん事疑ひ無し。同じくは法華経を強ひて説き聞かせて毒鼓の縁と成すべきか。然れば法華経を説いて謗縁を結ぶべき時節なる事諍ひ無き者をや」(御書231)
と仰せであります。
 すなわち、今日、末法の本未有善の衆生に対しては、強いて妙法を説き聞かせて「毒鼓の縁」を結ばせるべきである。つまり「謗縁」を結ばせる時であると仰せられているのであります。
 「毒鼓の縁」とは、既に皆様も御承知の通り、涅槃経に説かれている話で、毒鼓とは毒薬を塗った太鼓のことで、その太鼓をたたくと、その音は聞こうとしない者の耳にも届き、聞いた者は皆、死ぬと言われているのであります。これは、謗法の衆生に対して法華経を説き聞かせることは、たとえ相手が聞こうとする心がなく反対しても、これを耳にすれば法華経に縁することとなって成仏の因となり、やがて逆縁によって成仏得道できることを毒鼓、すなわち毒を塗った太鼓に譬えているのであります。
 また「謗縁」も逆縁と同じ意味で、法華経をいったんは誹謗しても、それが縁となり、ついには成仏することができることを言うのであります。
 よって、大聖人様は『上野殿御返事』に、逆縁成仏について次のように仰せであります。すなわち、
「昔、インドに非常に嫉妬深い女人がいて、夫を憎むあまり、ことごとに当たり散らし、家の物を壊すなど荒れ狂い、その上、あまりの腹立たしさに、怒りを露わにして、亭主が毎日読んでいた法華経の第五の巻を両足で散々に踏みつけたのであります。その後、当然の如くその女人は地獄に堕ちましたが、法華経を踏みつけた両足だけが地獄に入らず、獄卒が杖をもって打てども、どうしても両足だけが地獄に堕ちなかった」(御書1358取意)
という話であります。
 これは同抄に、
「法華経をふみし逆縁の功徳による」(御書1359)
と仰せのように、両足で法華経を踏みつけたことが逆縁となって、地獄に堕ちなかったということであります。つまり、成仏得道のためには、たとえ逆縁であっても法華経に縁することが、いかに大事であるかを教えられているのであります。
 されば大聖人様は『法華初心成仏抄』に、
「とてもかくても法華経を強ひて説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり」(御書1316)
と仰せられ、とにかく謗法の者に対しては、根気よく下種折伏を続けていくことが大事であり、たとえ反対されてもそれが「毒鼓の縁」となって、やがて入信に至ることができるのであります。
 特に今、末法は謗法が充満し、ために多くの人々が知らず知らずのうちに悪縁に誑かされ、邪義邪宗の害毒によって不幸の境界から脱することができずにいます。こうした人々を救済していくためには、正像過時の如き摂受ではなく、破邪顕正の折伏をもってすることが最善であり、折伏こそ末法の一切衆生救済の最高の慈悲行であります。
 なかんずく、昨今、緊急事態は解除されたとは言え、新型コロナウイルス感染症による騒然とした様相を見る時、私どもは今こそ、持てる力のすべてを出して、一人ひとりの幸せはもとより、全人類の幸せと全世界の平和実現のために一天四海本因妙広宣流布達成を目指して、断固として破邪顕正の折伏を実践していかなければなりません。
 どうぞ皆様には、異体同心・一致団結して、全力を傾注して折伏を行じ、晴れて仏祖三宝尊の御照覧を仰がれますよう心からお祈りし、本日の話といたします。
(大白法 令和3年10月16日 第1063号 転載)