本日は、法華講連合会第五十八回総会が、ここ本門戒壇の大御本尊まします総本山において開催され、まことにおめでとうございます。
本年は、新型コロナウイルス感染症の全国的な蔓延のため、昨年と同様に限られた参加者によって開催されることになりましたが、皆様には万障繰り合わせて御登山され、まことに御苦労さまです。
さて『立正安国論』を拝しますと、
「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば、身は是安全にして心は是禅定ならん。此の詞此の言信ずべく崇むべし」(御書 二五〇㌻)
と仰せであります。
既に皆様も御承知の通り、『立正安国論』は今を去る七百六十二年前、文応元(一二六〇)年七月十六日、宗祖日蓮大聖人御年三十九歳の時、宿屋左衛門入道を介して時の最高権力者・北条時頼に提出された、国主への諌暁書であります。
大聖人様は『撰時抄』に、
「外典に云はく、未萌をしるを聖人という。内典に云はく、三世を知るを聖人という。余に三度のかうみゃうあり」(同 八六七㌻)
と仰せられ、御一代中に三度、天下国家を諌暁あそばされましたが、その最初の国家諌暁の時に提出されたのが『立正安国論』であります。
ちなみに、二回目は同じく『撰時抄』に、
「二つには去にし文永八年九月十二日申の時に平左衛門尉に向かって云はく、日蓮は日本国の棟梁なり。予を失ふは日本国の柱橦を倒すなり」(同㌻)
と仰せのように、文永八(一二七一)年九月十二日、竜口の法難の直前に、平左衛門尉に対して諌暁された時であります。
三回目は、文永十一年四月八日、佐渡赦免直後、再度、平左衛門尉に見参した時であります。その時、大聖人様は蒙古来襲の時期について尋ねられ、
「経文にはいつとはみへ候はねども、天の御気色いかりすくなからず、きうに見へて候。よも今年はすごし候はじ」(同㌻)
と「よも今年はすごし候はじ」、「今年中には襲ってくるであろう」と予言されたのであります。しこうして、この予言は同年十月の蒙古来襲、すなわち文永の役によって的中したのであります。
そこで今、改めて『立正安国論』御述作の背景について申し上げますと、大聖人様は『安国論御勘由来』に、
「正嘉元年太歳丁巳八月廿三日戌亥の時、前代に超えたる大地振。同二年戊午八月一日大風。同三年己未大飢饅。正元元年己未大疫病。同二年庚申四季に亘りて大疫已まず。万民既に大半に超えて死を招き了んぬ。而る間国主之に驚き、内外典に仰せ付けて種々の御祈祷有り。爾りと雖も一分の験も無く、還りて飢疫等を増長す。日蓮世間の体を見て粗一切経を勘ふるに、御祈請験無く還りて凶悪を増長するの由、道理文証之を得了んぬ。終に止むこと無く勘文一通を造り作し其の名を立正安国論と号す。文応元年庚申七月十六日辰時、屋戸野入道に付し故最明寺入道殿に奏進し了んぬ。此偏に国土の恩を報ぜんが為なり(中略)日蓮正嘉の大地震、同じく大風、同じく飢饅、正元元年の大疫等を見て記して云はく、他国より此の国を破るべき先相なりと。自讃に似たりと雖も、若し此の国土を毀壊せば復仏法の破滅疑ひ無き者なり」(同三六七㌻)
と仰せであります。
すなわち、大聖人は正嘉元(一二五七)年八月二十三日の大地震をはじめ、近年より近日に至るまで頻発する天変地夭・飢饉・疫癘等、遍く天下に満ち、混沌とした末法濁悪の世相を深く憂えられて、国土退廃の根本原因は、邪義邪宗の謗法の害毒にあると断じられ、国土万民を守護すべき諸天善神が去って、悪鬼・魔民が便りを得て住み着いているためであるとされました。そして、金光明経や大集経等を引かれ、正法を信ぜず、謗法を犯すことによって三災七難等の災難が起こると、教証を挙げてその理由を述べられ、邪義邪宗への帰依をやめなければ、自界叛逆・他国侵逼の二難をはじめ、様々な難が必ず競い起こると予言されたのです。その上で、こうした災難を防ぐためには「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ」と仰せられて、仏国土を建設するためには一刻も早く謗法の念慮を断ち、「実乗の一善」に帰することであると諌められているのであります。
この「実乗の一善」とは、大聖人様の元意は文上の法華経ではなく、法華経本門寿量品文底独一本門の妙法蓮華経のことであり、三大秘法の随一、大御本尊のことであります。すなわち、謗法の念慮を断ち、大御本尊に帰依することが、国を安んずる最善の方途であると仰せられているのであります。
よって、総本山第二十六世日寛上人は「立正」の両字について、
「立正の両字は三箇の秘法を含むなり」(御書文段 六㌻)
と仰せられているのであります。
すなわち「立正」の「正を立てる」とは、末法万年の闇を照らし、弘通するところの本門の本尊と戒壇と題目の三大秘法を立つることであり、正法治国・国土安穏のためには、この本門の本尊と戒壇と題目の三大秘法の正法を立つることこそ、最も肝要であると仰せられているのであります。
また「安国」の両字については、
「文は唯日本及び現在に在り、意は閻浮及び未来に通ずべし」(同 五㌻)
と仰せられています。つまり「国」とは、一往は日本国を指すも、再往は全世界、一閻浮提を指しているのであります。
なおまた『立正安国論』の対告衆は北条時頼であり、予言の大要は自界叛逆難・他国侵逼難の二難でありますが、実には一切衆生に与えられた諌言書であります。特に、
「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」(御書 二四一㌻)
と仰せのように、一往は専ら法然の謗法を破折しておりますが、再往元意の辺は広く諸宗の謗法を破折しておられるのであります。
したがって、一往は念仏破折であり、権実相対の上から破折されておりますが、「立正」の意義から拝せば、一重立ち入って、天台過時の迹を破し、法華本門を立てて正とする故に本迹相対となります。
さらにまた一歩深く立ち入って拝せば、久遠下種の正法、すなわち末法弘通の三大秘法の妙法蓮華経を立てて、本果脱益の釈尊の法華経を破するが故に種脱相対となるのであります。つまり「立正」の「正」とは、三大秘法がその正体であります。
されば今日、末法濁悪の世相をそのまま映し出している現状を見る時、今こそ私どもは、一人ひとりが立正安国の精神を拝信し、一天広布を目指して、敢然として破邪顕正の折伏を行じていかなければならないことを肝に銘ずべきであります。
大聖人様は『唱法華題目抄』に、
「末代には善無き者は多く善有る者は少なし。故に悪道に堕せん事疑ひ無し。同じくは法華経を強ひて説き聞かせて毒鼓の縁と成すべきか。然れば法華経を説いて謗縁を結ぶべき時節なる事諍ひ無き者をや」(同 二三一㌻)
と仰せであります。
この御文を拝する時、私どもは、まさしく今日の如き新型コロナウイルス感染症によって世情騒然としている現状を見て、一人ひとりが妙法広布の願いのもと、講中一結・異体同心して、決然として折伏を行じていかなければならないのであります。
大聖人様は『南条兵衛七郎殿御書』に、
「いかなる大善をつくり、法華経を千万部書写し、一念三千の観道を得たる人なりとも、法華経のかたきをだにもせめざれば得道ありがたし」(同 三二二㌻)
と仰せであります。
この御文を拝し、私どもは改めて正法正義を破壊しようとする邪義邪宗の謗法を見ながら知りながら、黙過して折伏もしなければ成仏は思いもよらないとの仰せをしっかりと受け止めていかなければなりません。
よって、私どもは一人ひとりが断固たる決意をもって、破邪顕正の折伏を行じていくことが、自行化他にわたる信心を確立していく上で、いかに大事であるかを知るべきであります。
所詮、いかなる場においても悪を放置しておけば、必ず内側から破壊してしまいます。謗法も同様、謗法に対して破折もせず、そのまま放置しておくことほど恐ろしいことはありません。したがって、私どもは、大聖人様の仰せのままに謗法厳誠・折伏正規の宗是を厳守し、講中の一人ひとりがしっかりと折伏を行じていくことが、いかに大事なことであるかを知らなければなりません。
大聖人様は『如説修行抄』に、
「末法の始めの五百歳には純円一実の法華経のみ広宣流布の時なり。此の時は闘諍堅固・白法隠没の時と定めて権実雑乱の砌なり。敵有る時は刀杖弓箭を持つべし、敵無き時は弓箭兵杖なにかせん。今の時は権教即実教の敵と成る。一乗流布の代の時は権教有って敵と成る。まぎらはしくば実教より之を責むべし。是を摂折の修行の中には法華折伏と申すなり。天台云はく『法華折伏破権門理』と、良に故あるかな」(同 六七二㌻)
と仰せであります。
今、宗門は僧俗一致・異体同心して、近くは本年度の折伏誓願の達成を目指し、遠くは一天四海皆帰妙法を目指して力強く前進をしております。この時に当たり、私ども一人ひとりが御本仏宗祖日蓮大聖人様の弟子檀那たることを自覚し、一心欲見仏・不自惜身命の御聖訓のままに、講中一結・異体同心して勇躍として大折伏戦を展開し、一天広布へ向けて前進していくことが、いかに大事であるかを知り、いよいよ御精進されますよう心からお祈りし、本日の挨拶といたします。
(大白法 令和4年9月1日 第1084号 転載)